ストレスを上手く利用し、人生をいい方向に進める方法

ストレス

ストレスは悪いものではないと思う人がいい結果を出せる

ストレスに関しては以下のようなデータが存在する。
・日常生活のストレス程度では、病気にはならない。
・成功者の多くはストレスはいいものだと考えている。

ストレスを一切なくすことは不可能。
生きている以上は何かしらのストレスを感じることになる。
だから、「ストレス=いいもの」と考えることが大事。
ストレス=いいものと考えている人は、ストレス下でも健康で長生きできるという統計もある。

ストレス時の反応について

ストレス反応のひとつとして、闘争・逃走反応があるが、これは極度のストレス下に置かれた場合の選択。
日常程度のストレスでは、このような反応は行わず、以下のような反応を行う。

チャレンジ反応

リバウンド効果…ネガティブなことがあった時に、その反動で大きなことを成し遂げられる。
受験に落ちたから「、もっといい学校に受かろう」と火が付き、勉強に精を出すなど。

思いやり効果

ストレスを感じると、人とつながりたいという欲求を呼び起こす、オキシトキシンというホルモンが分泌される。
つまり、チームや組織の結束が強くなる。
また、オキシトキシンは、心臓細胞を修復・再生する効果もある。

ストレスと実害は違うものだと理解しよう

実害とは

実害…ブラック企業などによる心身に影響を及ぼすような長時間残業
ストレスは歓迎すべきだが、実害は避けるべき。

ストレスとは

ストレスは、考え方によって発生するもの。
例えば、低賃金で長時間労働をさせられている場面を考えてみると、
それによる実害は、
・プライベートな時間が少ない
・給料が低い
などである。

しかし、それに対して、
「なぜ賃金が低いのか」
「自分よりも楽にたくさん稼いでいる人間がいるのが気に入らない」
「こんな人生で本当にいいのか?」
などと色々考えてしまうことによって、ストレスが生じる。

自分の不安や緊張を受け入れるといい結果を出せる

「自分は落ち着いている」と思っている人と、「自分は緊張している」と思っている人では、後者の方が良い結果を出せる。
自分の不安や緊張を受け入れることが大事。
緊張することはいいことであると思うことが大事。

明確な価値観を持つとストレスに強くなる

価値観がハッキリしているとストレスに強くなる。
「自分の価値観はこれである」という認識を持つことが大事。

感情を乱さない方法。自分と心を切り離す!

感情に流されてしまい、失敗した経験、思い通りにいかなかった経験。
そんな経験が、あなたにもあるかと思います。

・ちょっと強く言われて、萎縮してしまう
・他人の些細な言動に対し、激しく腹を立ててしまう
・突発的な出来事に、冷静に対応することができない
などなど。

あとになって思えば、「どうしてあんなに取り乱してしまったのだろう」と思うかもしれません。
でも、その時はなかなか気付けないものですよね。

しかし、だからと言ってこれを見過ごすことはできません。
このままでは、コントロール不能な感情に振り回されてしまいます。
そのような状態で生きていては、いつか必ず大きな失敗をしてしまうでしょう。

そうならないためには、自分の感情をしっかり保つ必要があります。
そこで、今回は何があっても感情を乱さないための方法を見ていきます。

感情を乱さない方法

感情を乱すことによるデメリット

感情を保つ方法を見ていく前に、まずは感情を乱してしまうことのデメリットを見ていきましょう。
感情を乱してしまうことの最大のデメリットは、自分を見失ってしまうことです。

何かを言われて腹を立てている時や、怯えている時。
その時は、自分が何を考えているのか、どんな状況なのか、相手はどんな顔をしているか。
そう言った、自分を含めた周りの状況すべてが見えなくなってしまいますよね。
これが、自分を見失うという状態なのです。

自分を見失ってしまうと、冷静な判断ができなくなります。
それは周り状況が見えなくなってしまうからです。
たとえば、明らかに勝ち目がないのに、怒りにまかせて自分より立場の上の人間に盾突くなど。

冷静な時であれば、こんな無謀な判断はしませんよね。
しかし、感情を乱してしまうとそのようなことをしてしまうのです。
あなたにも心当たりがあるのではないでしょうか?

そして、そうした無謀な行動は大体において悲惨な結果を招きます
こう行動したら、こうなるという判断がうまくできないからです。
上の例でいえば、上司からのあたりが強くなったり、周りからも冷ややかな目で見られたりと、いいことがないですよね。

こうした望ましくない結果を招いてしまうというのが、感情を乱してしまうことのデメリットなのです。

冷静であれば的確な判断ができる

感情を乱してしまうことにより、冷静な判断ができなくなってしまいます。
これは、逆に言えば冷静でありさえすれば、的確な判断ができるということです。

たとえば、何かを言われて萎縮してしまう場合。
明らかに相手がおかしいことを言っているのに、何も言い返せなくなってしまいます。
また、何か言ったら言い返されるのではないかなどと考えてしまいます。
これは、恐怖にとらわれ、冷静な判断ができなくなってしまっているからです。

もし、恐怖にとらわれず、冷静な判断ができたらどうでしょうか。
たとえば、対面で言い合っているのではなく、インターネットでやり取りしている場合などを考えてみるとわかりやすいかもしれません。
インターネットであれば、対面の時よりもプレッシャーが少ないので、多少冷静になれますよね。
そうすれば、対面の時よりも適切な返しができるでしょう。

つまり、感情を乱さずにいれば、どんな時でも冷静に対処することができるのです。
そして、一回一回の判断が適切であれば、人生も思い通りの方向に進んでいきます。

また、冷静であれば今よりもずっと楽に生きていくことができます。
何かを言われるたびに激昂し、冷ややかな目で見られる。
ちょっとしたことでもプレッシャーを感じて、失敗ばかりしてしまう。
ちょっと強く言われただけで萎縮してしまう。
このような人生は疲れてしまいますよね。
ことあるごとに心が振り回されてしまうからです。

感情を乱すことがなくなれば、
・冷静な判断ができ、人生がうまくいく
・心が動じなくなり、心理的に楽に生きれる
という大きなメリットがあるのです。

自分と心を切り離す

感情を乱さず、冷静でいることには大きなメリットがありました。
では、どうすれば感情を乱すことがなくなるのでしょうか。

その時に重要な考え方が、自分と心を切り離すことです。
これは意識の話なのですが、実際に自分と心が別のもののようにイメージすることです。

たとえば、
・心が物理的に上空にあるイメージをする。
・自分の心をこぶしで握って、守っているようなイメージをする。
・心の前に盾があるようなイメージをする。
などです。

こうすることにより、心に意識が行きます。
たとえば、何か緊張するような場面を目の前にしたとき、心を切り離すイメージをします。
これにより、自分の心を客観視することができます
切り離すイメージをすると同時に、自分の心が緊張していることを理解できるのです。

このようにイメージをすることで、緊張するような状況が直接心に影響を及ぼさなくなります。
冷静な自分というフィルターを一回通すことになるからです。

このように、とっさに自分と心を切り離すのは練習が必要です。
心が乱れてしまうと、なかなか冷静にイメージすることができませんからね。
しかし、練習が必要と言っても、2,3回もやればできるようになります。

ですから、最初はあらかじめ心を乱すとわかっているような状況で練習するのがいいでしょう。
たとえば、
・上司に怒られるとわかっている時
・嫌いな人と会うとき
・人前で話すことが決まっている時
など。

このように、あらかじめ決まっていれば、前もって心の準備ができるのです。
事前に準備ができていれば、いざ心が乱れそうになった時、切り離すのは容易です。
これを何回か繰り返していれば、とっさのときでもできるようになります。

ですから、まずはそのような状況を利用して、何回か練習をしましょう
そうすることで、驚くほど自分の心をコントロールするのがうまくなります。
それができるようになれば、あなたはもっと楽しく、もっと満足のいく人生が送れるでしょう!

自分を客観視すれば、マイナス思考はなくなる!

「自分には大した能力がない…」
「頑張っても成果が出せるわけがない…」
「一生こんなところでこき使われるしかない…」
このようにマイナスに考えてしまうことは、時たまあるかと思います。

たまにならばこのように落ち込んでしまうことも仕方ないかと思います。
しかし、こうしたマイナス思考が慢性的に続くのであれば、それは危険かもしれません。
このようなマイナス思考は自分の人生を下向きにしてしまう危険性があるからです。

では、どうすればそうしたマイナス思考から脱却することができるのか。
そこで、今回はマイナス思考をなくす方法についてみていきます。

マイナス思考

マイナス思考の危険性

マイナス思考をなくす方法を見ていく前に、まずはマイナス思考がなぜ危険なのかを見ていきましょう。

マイナス思考とは、悲観的な思考のことです。
「うまくいくわけがない」
「失敗するにきまってる」
このような未来に対するマイナスのイメージの思考のことです。

こうしたマイナス思考は、さまざまな問題を引き起こします。
たとえば、
・何を考えるにも悲観的になってしまい、しんどい
・将来に希望を持てない
・何か行動を起こすのを躊躇してしまう
などなど。

このような状態で生きていくのは、とてもしんどいですよね。
何をしても、何もしなくても気持ちが晴れることはないのです。
だから、生きているのがしんどくなっていくのです。

このような思考にとらわれてしまうと、何に対してもやる気が出なくなります。
不安や怖れといった、マイナスの感情に脳がさらされ、それだけで疲弊してしまうのです。
そして、何に対してもやる気が出ない自分、何も変えられない自分をみて、またマイナスな気持ちに沈んでしまいます。
そうして、負のスパイラルが起こるのです。
これが、マイナス思考の危険性です。

マイナス思考が変わればどうなるか?

何もやる気がなくなり、何もしなくなり。
そして、そんな自分が情けなくなり、またマイナス思考になっていく。
こうした負の連鎖が起こることが、マイナス思考の問題点でした。
では、こうしたマイナス思考をなくすことができればどうなるでしょうか。

たとえば、あなたがマイナス思考からプラス思考になった時のことをイメージしてみましょう。
今までマイナス思考の人が変われば、次のような変化がみられるのではないでしょうか。
・明るいイメージがわいてくるので、楽しい
・将来にたいしてポジティブなイメージがわいてくる
・成功するイメージがわくので、行動を躊躇しなくなる
などなど。
これを見るだけでも、大分違いが見えてくるのではないでしょうか。

もし、このように前向きな考え方になったら、人生も楽しくなると思いませんか?
行動を躊躇しなくなるので、すぐに結果を出せる。
その行動によって、人生に変化が生まれる。
それによって、人生が行き詰っているような停滞感、閉塞感が生まれない。
人生をコントロールしている実感があり、それが自信につながる。
それによって、さらに前向きな思考が強化される。

そのためにも、マイナス思考から脱却し、プラス思考になれるように意識することが大事です。
では、具体的にどうすればプラス思考になることができるのでしょうか。

客観視すれば、マイナス思考は変えられる

マイナス思考を脱却し、プラス思考になる方法。
そのためには、自分を客観視することが大事です。
客観視とは、第三者の目線で自分を見つめなおすということです。

もし、客観視ができるとどうなるでしょうか。
自分の思考を冷静な目で見ることができます。
たとえば、怒っている時を想像してみてください。
自分のことを冷静に見れていないと思います。
自分が「怒っている」ということすらも認識できないでしょう。

しかし、客観視をすることができると、自分が怒っているということを冷静に認識することができます。
そして、それに気づくことができれば、怒りをコントロールできるのです。

怒っている相手を鎮めるのに一番有効なのが、鏡を使って自分自身を見せることだといいます。
そうすることで、客観視ができ、怒っている自分自身を冷静に認識できるのです。

では、マイナス思考を客観視することができたらどうなるでしょうか。
自分がマイナス思考に陥っていることを認識できます。
それを認識できれば、意識的にその思考を変えることもできるはずです。
そして、その思考を意識的に前向きなものにすれば、プラス思考になれるというわけです。

つまり、マイナス思考を脱却し、プラス思考になるためには、自分の思考を客観視できればいいのです。
そのためにも、常に自分を客観視できるようになることが大切です。

マイナス思考もプラス思考も使い分けられれば強い

マイナス思考の人がプラス思考になるためには、意識して自分の思考を客観視しないといけませんでした。
ですが、もともとプラス思考の人は、わざわざ客観視をしなくても、前向きな考え方が無意識にできます。
それに比べると、マイナス思考の人はわざわざ意識しないといけないので大変ですよね。
しかし、その大変さを乗り越えれば、あなたはマイナス思考もプラス思考も使い分けることができるのです。

マイナス思考は、デメリットのようにも見えますが、生き残るという意味においてはメリットがあります
というのも、そもそもマイナス思考というのは、人類が生き延びるために発達した思考だからです。

昔の人間が暮らしていた環境を考えてみて下さい。
外には危険な生物がたくさん存在し、安全な場所も少ないです。
食糧も限られていて、ちょっと気を抜けばそこを尽きてしまうかもしれません。
このような過酷な状況を生き延びるために重要なのが、マイナス思考です。

たとえば、「あそこの茂みに危険な生き物がいるかもしれない」と考えれば、そこを避けますよね。
「もしかしたら食糧が奪われるかもしれない」と考えれば、食糧の隠し場所を変えたり、分散したりするかもしれません。
このようにマイナス思考というのは、危険を回避するための能力でもあるのです。

しかし、現代にはそんな過酷な状況はありません。
危険な生き物に命を奪われる危険もないですし、食糧が底を尽きる危険もありません。
だから、そのような不安は杞憂に終わり、それによって心が消耗してしまうというデメリットが目立ってしまうのです。
不安を感じても、感じなくても生存率に違いが出ないなら、感じない方が良いに決まってますからね。

マイナス思考とプラス思考。
どちらがいいというものではありません。
状況に応じてどちらの思考も使い分けられることが重要なのです。

平和な今の時代でも、マイナス思考が全く不要なわけではありません
将来に備えて、資産運用をしたり、
技術の変化に取り残されないように、最新技術を学んだり、
今の会社が潰れてもいいように、他の所でもやっていけるようなスキルを身に着けたり…

現代においても、このように最悪のケースを想定する能力と言うのは必要なのです。
しかし、それだけではいけない。
つまり、プラス思考とマイナス思考のバランスが需要なのです。

そう考えれば、プラス思考の人でもマイナス思考の人でも自分を客観視できるようになることは必要なのです。
むしろ、マイナス思考の人がプラス思考を使えるようになれば、現代の環境に適応した生き残る力の強い人になれるのです。
両方の思考を使い分けることができれば、あなたは今よりももっと楽しい人生を生きることができるのです。

あなたが生き辛いのは不安のせい。不安との正しい付き合い方。

生きているのが辛い、しんどい、楽しくない。
そう感じることはないでしょうか。
その原因は色々あると思いますが、大きなものとして「不安」が挙げられます。

不安にとらわれている時間は楽しくないです。
だんだん暗い気持ちになってきます。

また、不安は私たちから楽しい時間を奪います。
本当は自由に過ごせる時間なのに、不安にとらわれて何もする気がしない、というのはみなさんも経験があるのではないでしょうか。

不安というのは、付き合うのが難しい感情です。
そもそも、不安というのは生き延びるための感情です。
先のことに対する危機を察知することで、それに対処し生存確率を高めるのです。

一方で、それにとらわれすぎてしまうとどんどん疲弊していきます。
先の危険に備えるというのは、常に神経を尖らせることです。
心が休まる暇がなければ、すぐに疲れてしまいます。

不安というのは、決して不要な感情ではないが、上手く付き合わないと自分を傷つける。
そんな付き合い方の難しい感情なのです。

では、一体どうやって不安と向き合えば、生き辛さから解放されるのでしょうか。
それをこれから見ていきましょう。

不安

不安を生み出さない

不安というのは、現代ではそれほど重要ではありません
というのも、現代では死に直結するほどの危険というのは、ほとんどないからです。

もし日常生活の中で、サーベルタイガーに出くわしたり、サメに食べられてしまう危険性があるのだとしたら、不安は生存に不可欠な感情となります。
それらの危機を常に意識することで、とっさの時に対応ができるのです。

しかし、現代ではそのような状況は、まずありません。
ですから、現代においては不安というのは減らした方が良いのです。

では、不安をなくすためには、どうすればいいのか。
それは、「不安は尽きないもの」だと認識することです。
不安はいくらでも挙げることができます。

将来は大丈夫だろうか
年金はもらえるだろうか
会社は倒産しないだろうか
明日雨が降らないだろうか
電車はちゃんと来るだろうか
家の鍵はちゃんと閉めただろうか
ガスの栓は閉じただろうか

考え出したらきりがありません。
ですから、考えても無駄なのです。
不安をひとつずつ挙げていって、それを潰していこう、なんてことをしていたらそれだけで人生が終わってしまいます。
目の前の不安をつぶしたところで、すぐに新しい不安が出てきます。
ですから、突き詰めて言えば、不安は私たちにはどうすることもできないものなのです。
だったら、最初から気にしない方が良いのです。

また、私たちが不安に感じるものは、私たちが認識できるものだけに限ります。
たとえば、仕事をクビなるかもとか、納期に間に合わないかもといった、想像可能な不安には敏感です。
しかし、明日大地震が来るかもとか、交通事故で命を失うかもといった不安には無頓着です。
どちらも十分起こりうる可能性があったとしてもです。

どうして、前者は気にして、後者は気にしないのでしょか。
しかも、前者は別に命の危険はないですが、後者の方は死んでしまう危険性もあります。
そっちの方を心配するべきなのではないでしょうか。

私たちの不安というのは、案外いい加減なものです。
重要なものには鈍感で、そうでないものには過敏に反応します。
そして、そうした重要でないもの敏感に反応するせいで、人生の楽しい時間を奪われているのです。
だとしたら、中途半端に不安にとらわれるのではなく、いっそのこと全て無視した方が良いのではないのでしょうか。
いちいち気にしていたら、不安だけで人生が終わってしまいます。

考えたところでどうにもならない

私たちは、考えてもどうにもならないことを不安に思います。
たとえば、自分がクビになりそうな状況だとして、それを考えてどうにかなるでしょうか。
会社の業績の問題だったらどうにもならないし、勤務態度の問題だったとしても、自分がリストラ候補に挙がっている以上、今更どうしようもありません。
考えてもどうにもならないのです。

よくよく考えてみると、考えてどうにかなる不安というのは、あまりありません
何かに挑戦してみて、それが成功するかどうかを考えて、何になるのでしょうか。
それが上手くいくかどうかは、それまでにどれだけ準備したかで決まります。
直前になって、それについて考えたところで、どうにもなりません。
なるようにしかならないのです。

もしかしたら不安を感じている時点で準備が足りていないのかもしれません。
だとしたら、どちらにせよ上手くはいかないので、考えるのはやめた方が良いです。
本当は不安を感じてから慌てるのではなく、不安にならないように日ごろから準備をしておくべきなのです。

上手くいくにしろ、失敗するにしろ、不安に思っていることには何のメリットもないのです。
だったらそんなことを考えないで、今に全力で集中するべきです。
先のことは、その時になってから考えればいいのではないでしょうか。

どうせ行動に起こさないなら、考えるな

何かが気にかかって不安になるのなら、それをさっさと済ませるべきです。
発表で失敗してしまうことを不安に思うのなら、リハーサルをすればいいのです。
試合で負けることが不安なら、練習をすればいいのです。
テストを直前に控えていて不安なら、勉強をすればいいのです。

そうはわかっていても、めんどくさくて腰が上がらない。
だったら、もう考えない方が良いです。
その不安を解消するには、行動するしかないのです。
しかし、それがめんどくさいならば、もはや解決の手段はありません。
だとしたら、解決を諦めて、別のことに時間を使った方が良いでしょう。

意外と、このようにうだうだと無駄な時間を過ごすことがあるものです。
本当に解決したい問題なら、そもそもめんどくさいなんて感情は湧いてきません。
めんどくさいと思う時点で、それは「別にどっちでもいいけど、やったほうがいいような気がする…」というレベルのものなのです。

ですから、「気にはなるけど、わざわざ頑張ってまで解消したくない不安」というのは無視してしまいましょう。
別にそれを無視したところで、私たちの人生に大した影響はありません。
そんなものに時間を奪われる方がよっぽど大変なことです。

迷惑をかけることを恐れない

不安のよくあるパターンとして、「他人に迷惑をかけてしまうのでは…」というものがあります。
人間が社会的動物である以上、この不安もなかなか厄介なものです。
では、この不安とはどのように付き合っていけばいいのでしょうか。

それは、他人に迷惑をかけることは悪いことではないと理解することです。
しかし、言うのは簡単ですが、実践するのは難しいです。
なぜなら、私たちは小さいころから「人様に迷惑をかけてはいけない」と刷り込まれてきました。

ですが、よく考えてみてください。
人に迷惑をかけずに生きている人間など存在するのでしょうか。
さっき食べた食事も、今住んでいる家も、自分で用意したわけではありません。
生きている以上、常に誰かの手を煩わしているのです。

私たちは生きている以上、常に誰かに迷惑をかけているのです。
ただ、それを意識しているかどうかの違いに過ぎません。
今更あなたが誰かに頼みごとをしたところで、今までかけてきた迷惑の量に比べたら、大して変わらないのです。

自分が認識できるものに対しては、罪悪感を覚える。
しかし、認識できないものに対しては、それが意識に昇ることすらないのです。
だとしたら、今更迷惑をかけることに罪悪感を覚えて何になるのでしょうか。

ですから、人に迷惑をかけることを過度に恐れてはいけません。
そんなことを気に掛けるくらいなら、他人の迷惑を許すよう努めた方が良いです。
生きている以上、迷惑というのは意図せずに発生するのです。
これは、避けようのないことです。
だったら、それを排除しようと考えるのではなく、受け入れる方が自然ではないでしょうか

人に迷惑をかけないように常に気を張り、他人の迷惑にいちいち目くじらを立てる人生。
迷惑をかけるのを気にしないが、他人の迷惑も広い心で許容する人生。
どちらの方が、楽しい人生になるでしょうか。

「だいたいのことは上手くいく」ということを再確認する

私たちは、新しいことをはじめたり、新しい環境に身を置くとき不安になります。
上手くいくだろうか、失敗しないだろうかと考えてしまうのです。

しかし、思い出してみても下さい。
今までの人生を振り返ってみると、大体のことは上手くいったのではないでしょうか。

年が変われば新しい環境に行き、そこでのルールや作法を覚えていって、なじんでいったはずです。
ですから、これからも大変ではあるでしょうが、別に問題にはならないでしょう。
新しいことに挑戦するのも同じことです。
新しい仕事をする時など、その時は無理に思えても、終わってみたら案外大したことなかった、ということも多いです。

そう考えると、自分は大概のことは乗り越えることができることがわかります。
だから、目の前の問題に対しても別に身構える必要はないのです。
普通にやれば、普通に乗り越えられる。
だから、今の自分がいるのです。
不安を覚えずに悠々と構えておきましょう。

自分が無いから不安になる

「自分」という軸が定まっていないことも、不安を呼び起こす原因となります。
自分が定まっていないと、不確実な現実に対し、流されるままに生きることになります

本当はやりたくないけど、仕方ないからやる
不安だから、気乗りしないけどやっておく
他人がやれというからやる

このような生き方をしていると、常に現実に振り回されることになります。
そうすることで、現実は自分にはどうしようもできないものと思い込んでしまいます。
どうしようもできないから、現実や未来が怖くなるのです。

たしかに、現実を変えることはできません。
しかし、現実に対しどう行動するかは、自分次第でどうとでもできます

やりたくないから、やらない
不安だけど、面倒だからやらない
他人がやれというけど、必要性を感じないからやらない

「自分はこうである」という軸が定まっていれば、不確実な現実の中にも確実性を持つことができます
「何が起きたとしても、自分はこのように生きる。だから、この先何が起こっても怖くない。」
そういうロジックです。

この生き方は、一見大変なように見えます。
周りとぶつかりながら、自分を通すために絶えず闘い続ける。
たしかに、ちょっとしんどいかもしれません。

しかし、よく考えてみてください。
自分の意思を持たず、その場その場で流されるままに生きる人生は虚しくないでしょうか。
そんな人生で後悔しないでしょうか。
そうならないためにも、地に足つけて踏ん張って生きていく必要があるのです。

不安に溺れるのは、暴飲暴食と同じくらい不健康

不安というのは、生き延びるための感情です。
過酷な自然環境で生きていくためには、常にちょっとしたことにも警戒し、危機感を持っていないといけません。
不安という感情があることで、人間は危険を回避してきました。

つまり、不安というのは原始的な感情なのです。
食欲や性欲、睡眠欲などと同じようなものです。
ただ生き延びるためだけに備わっている、低次の感情なのです。

このような低次の感情は、私たちの身を守ってくれますが、一方で苦しめもします
たとえば、食欲は生命維持に必要な感情です。
体内のエネルギーが少なくなってくると、空腹でそのサインを出してくれます。
しかし、食欲に任せて食べていると、必要量以上を摂取してしまいます。
その結果、肥満や心筋梗塞、糖尿病などの、生きていくのに支障をきたすような疾患を持つことになります。
このように、低次の感情に身を任すと、自分の身を滅ぼしてしまうのです。

不安もそれと同じです。
それに身を任せすぎてしまうと、楽しい時間をすごせなくなり、何に対してもやる気がなくなってしまいます。
人生に支障をきたしてしまうのです。

ですから、不安に飲み込まれてしまわないように、常に気をつけておく必要があります。
これは、欲望や快楽といった低次の欲求に溺れないように、自分を律するのと同じくらい重要なことなのです。
今、自分が不安にとらわれているのであれば、それは暴飲暴食をしているのと同じくらい不健全なことなのだと理解しましょう。

ネガティブ感情を消すことはできない。まずは受け入れよう。

ネガティブな感情

「ネガティブな感情を消し去りたい」
そう思う方は多いです。
怒りは自分を痛めつけます。
不安は心を消耗させます。
もしネガティブな感情がなくなれば、常に晴れやかな気持ちで生きていけるでしょう。
もっと生きやすい人生が待っているでしょう。

たしかに、マイナス感情はなければ、それにこしたことはありません。
しかし、私たちは人間です。
思い通りにいかないと、怒りが湧きます。
良くない兆候があると、不安になります。
マイナス感情を一切なくすことはできないのです。

抑え込むことも同じです。
それは、結局蓋をするのと同じこと。
たしかに目の前からは消えるかもしれませんが、それは依然として存在しています。
そして、押さえつけられたネガティブな感情は、病のようにじわじわと私たちの心を蝕んでいきます

消し去ることもできない。
押さえつけることもできない。
では一体どうやってネガティブな感情と向き合えばいいのでしょうか?

抑え込むのではなく、受け入れる

受け入れる。
これが、ネガティブ感情との上手な付き合い方です。
抑え込んだり、無視したり、振り回されたりするのではありません。

ネガティブ感情にも、何かしら生まれた理由があるはずです。
「自分の本心に気づいてもらいたい」
「今やっていることが間違っているとアラートを上げている」
「一度立ち止まって考える必要性を訴えている」

マイナス感情は、私たちに自分の心と向き合うことを要求しているのです。
本当に今のままでいいのか、と問いかけているのです。

ですから、それを無視したり、抑え込んだりするのではなく、受け入れる必要があるのです。
そして、向き合う。
なぜその感情が生じたのかを考えるのです。

そうすることで、今の自分の間違いに気づくことができます。
間違いに気づき、それを正すことができれば、もうマイナス感情は湧いてきません。
生まれる理由がなくなったからです。

受け入れることで、かえって生きやすくなる

マイナス感情が無ければ、晴れやかな気持ちで日々を過ごすことができます。
しかし、そのためにはまずマイナス感情を受け入れる必要があるのです。

無視したり、抑え込んだりするのは、その場しのぎでしかありません。
一時は大人しくなるかもしれません。
でも、すぐにまた顔を出して、私たちの心をかき乱します。

まず受け入れる。
一見遠回りに見えますが、そうやって根本の原因を探る方が、かえって近道なのです。
マイナス感情を嫌い、目を背けるのではなく、しっかりと向き合いましょう。
そうすれば、今の生き辛さも和らいでいきます。

臆病な僕でも勇者になれた七つの教え

あなたのしんどさは「心の疲れ」が原因かもしれない。心に疲れをためない3つの方法。

心

ストレス社会に生きる私たちは、常に心をすり減らしながら生きています。

「なんとなくしんどい…」
「何もやる気がでない…」
「全てがどうでもいい…」
気付くとこのような状態になってしまっている、という人も多いのではないでしょうか。

たまにならば、気合いや気持ちで乗り切ることも可能です。
しかし、これがあまりにも長く続いてしまうと危険です。
ある時、突然心がポッキリ折れてしまう可能性があります。
一度折れてしまった心を戻すのは、大変なことです。
ですから、そうなってしまう前に予防することが大切なのです。

つまり、心に疲れをためない方法を知ることが大切なのです。

なぜ心に疲れが溜まってしまうのか?

心が折れてしまわないようにするためには、心に疲れが溜まらないように気をつけることが大事です。
では、そもそもなぜ心に疲れが溜まってしまうのでしょうか?
その原因は、ネガティブな感情です。
恐れ、怒り、後悔、悲しみ…
そういったネガティブな感情によって、心は疲弊していくのです。

そして、これらのネガティブな感情は、循環するという性質を持っています
心の中をグルグルと巡り続けるのです。
たとえば、何かに腹を立てると、別のものに対しても怒りを感じてしまう、ということはよくあるかと思います。
電車が遅れていると、普段は気にならないような人ごみや信号などにイライラしてしまうなどですね。
このようにマイナスの感情は自己増殖を続け、心の中を駆け巡り続けます。
それによって、心はどんどん摩耗していってしまうのです。

心に疲れをためない方法

心に疲れをためないためには、ネガティブ感情の循環を断ち切る必要があります。
ネガティブ感情を一切なくす、というのはとても難しいです。
しかし、循環を断ち切るのであれば、ちょっとした心がけでできるのです。

それでは、ネガティブ感情を断ち切るための3つの方法を見ていきましょう。

自分の心を客観視する

客観視というと少し難しく感じますが、要は「言葉にする」ということです。
怒りを感じたら、「自分は怒っている」と言葉にするのです。
不思議なもので、これだけで自分のことを冷静に見ることができるのです。
一歩引いた目線から見れるとも言えます。
怒りにとらわれるのではなく、怒りを一歩引いたところから見つめることができるのです。

この状態になってしまえば、ネガティブ感情の循環を断ち切ることができます。

考えないようにする

考えないようにすることでも、ネガティブ感情の循環を断ち切ることができます。
この時の考えないというのは、ネガティブなことを考えないというのではなく、一切何も考えないということです。
頭の中を空っぽにするのです。

頭が空になれば、感情は湧いてきません。
感情は頭で考えたことによって生じるものだからです。

瞑想は、この空っぽの状態を作り出すために集中することです。
つまり、頭を空っぽにするというのは、ちゃんとした効果のある方法なのですね。

忙しくする

自分の感情を客観視する。
頭を空っぽにするように集中する。
しかし、それでも感情が収まらないということはあると思います。

その時におすすめなのがこの方法、「何も考えられないくらい忙しくする」ことです。
たとえば、仕事でとても忙しい状態を思い出してみてください。
目の前の仕事を片付けることに集中して、細かいことをいちいち気にしていられないですよね。
書類を提出しに行ったときに、「感じが悪いな…」とか、
隣の人のタイピングの音に対して、「うるさいな…」とか、
そういった余計なことは気にならないはずです。

目の前のやるべきことに集中することで、感情をストップさせることができるのです。
たとえば、カラオケやスポーツで嫌なことを忘れるというものがあります。
これも、それを楽しむことで頭をいっぱいにする、つまり忙しくすることでネガティブ感情をストップさせているのです。

ネガティブ感情をコントロールして、ストレスフリーな毎日を

問題は、ネガティブな感情が生まれることではありません。
「感情が反芻する」つまり過剰に繰り返されて私たちがその悪循環から抜け出せなくなってしまうことにあります。

ネガティブ感情自体は、悪いものではありません。
これは自分の不快感に気づかせてくれるための、たいせつな感情です。
しかし、これにとらわれてしまうと心が疲弊してしまいます。
大事なのは、ネガティブ感情を持ち続けないこと。
それにとらわれ続けてしまわないことです。
そうすれば、毎日を楽しくパワフルに過ごすことができます。

今回紹介した3つの方法を参考に、ネガティブ感情の悪循環を断ち切りましょう。
ネガティブ感情をコントロールできれば、ストレスフリーな毎日が過ごせます。

世界のエリートがIQ・学歴よりも重視! 「レジリエンス」の鍛え方

悲観的になってはいけない理由と、ならないための方法

悲観的、ネガティブ

悲観的な人と一緒にいると、自分も悲観的になってしまう。
つかまっちゃうと「それはいけない」「あれはうまくいかない」と否定ばかりされたり、最初から諦めるように仕向けられる。
やってもいないのに、失敗すると決めつける。
付き合わない方がいい。

悲観的とはどういうことか

悲観的であることの是非を問う前に、まずは悲観的とはどういうことかを考えていきましょう。
ここでいう悲観的とは、「何をやっても上手くいかない」という考え方のことです。

これは、将来の不安要素を洗い出す力とはまた別のものです。
この力は、ただ不安要素を洗い出すだけの力です。
その不安要素を踏まえたうえで、「上手くいくわけがない」と考えるのが悲観的ということです。
その状況を受け、「では成功させるためにどうするか」と考えることもできるはずです。

つまり、悲観的であるということは、状況を論理的に見る、見ないに関わらず、まず失敗するという前提から話が始まる考え方のことなのです。

悲観的になってはいけない理由

では、なぜ悲観的になってはいけないのでしょうか。
理由は2つあります。

挑戦をしなくなる

まず一つ目は、挑戦をしなくなることです。
常に失敗するというイメージがあるのですから、挑戦する意欲は湧きにくいですよね。
「どうせ失敗するけど、やってみるか」なんて気持ちで挑戦する人は、なかなかいないでしょう。
挑戦するからには、何らかの勝算があるはずです。

何かを得るためには、挑戦をしないといけません。
自ら行動することなしに、何かを得ることはできません。
ですから、悲観的になって、挑戦意欲を失ってしまえば、何も得ることができなくなってしまうのです。

気持ちが沈んでいく

二つ目は、気持ちが沈んでいくことです。
悲観的であるということは、何もかもが上手くかないという思い込みにとらわれていく事です。
何もかもが上手くいかないということは、人生そのものも上手くかない、楽しくないということです。
そのような状態で生きていても楽しくないでしょう。
だんだんと気持ちが沈んでいき、何に対しても感動しなくなってしまいます。

そのような状態になってしまえば、何をしても上手くいかないし、楽しくない。
人もどんどん離れていってしまうでしょう。

悲観的にならないために

「何をしても上手くいくわけがない」
このような悲観的な思い込みにとらわれると、本当に何もかも上手くいかなくなります。
何に対しても意欲が湧かず、気持ちも沈んでいきます。
ですから、悲観的になってはいけないのです。

悲観的にならないためには、先のことを考えないことが大事です。
ポジティブな未来を想像するのもいいのですが、これはなかなか難しいです。
なぜなら、人間はもともとネガティブに考える傾向が強いからです。
その方が生存には有利だったのです。

気合いで本能に立ち向かうのは難しいです。
だったら、そもそも考えることをやめればいいのです。
考えなければ、ネガティブなイメージもわきません。

考えないために一番いいのは、忙しくすることです。
忙しくするためには、目の前の事に集中すること、やるべきことをたくさん用意しておくといいです。
常に手を動かしていれば、将来のことをあれこれと考えることもなくなるのです。

悲観的にならないためにも、とにかく手を動かし続けましょう!

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瞑想と没頭は似ている。好きなことに集中することで心の平穏を保てる。

瞑想と没頭は、余計なことを考えなくなるという点で、共通しています。
余計な思考とは、自分の心を萎えさせるような、不安や焦りのことです。
たとえば、心配事があってそれが頭をちらついたり、このままではいけないとわかっているのに何も変えられない状況に焦りを抱いたりなどです。
このような思考は、集中力を削ぐだけでなく、心のエネルギーも奪っていきます
何か難しいことを考えるよりも、心配事を抱えながら過ごす方が疲れるのはこのためです。

瞑想

このような不安や焦りはない方が良いです。
では、そのためにはどうすればいいのでしょうか。
そのためには、考えなければいいのです。
何も考えなければ、不安や焦りは生まれません。
それにとらわれて心を消耗することもありません。
瞑想が効果的と言われるのはこのためです。

今回言いたいのは、思考を止める手段は、瞑想だけではないということです。
何か夢中になれるものに没頭するのも、瞑想と同じ効果が得られるのです。
何かに没頭する時、私たちは余計な思考が止まっているはずです。
ただ目の前のものに集中しているはずです。

ですから、何か不安がある、いつも心が疲れているという人は、趣味に没頭してみるのもいいでしょう。
その時大事なのが、意識して集中することです。
余計な思考を一切シャットダウンするのです。
そしてそれを意識しながら行うのです。
不安が頭によぎったら、目の前の事で思考を満たし、頭から追い出すのです。
そうしたことを繰り返しているうちに、「趣味をすること=余計な思考をしないこと」というような思考回路が出来上がるのです。
アニメでもゲームでもカラオケでも何でもいいから、意識的に集中して取り組むようにすると、心が安定するでしょう。

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理想が高いから腹が立つ。イライラしないための考え方

イライラ、腹が立つ

イライラするのは要求が高いから

私たちは、ものごとが自分の思い通りに進まないと、イライラします。
これは、周りに対する要求が高いとも言い換えることができます。
周りに対する要求が高いと、なかなかその通りには行きません。
それは、モノに対しても、人に対してもそうです。

要求が高いと、なかなか思い通りに進まない。
思い通りに進まないから、イライラする。
つまり、わたしたちがイライラする原因は、周りに対する要求が高いからなのです。

自分の基準を周りに押し付けない

では、イライラしないためにはどうしたらいいでしょうか?
イライラの原因が周りに対する高い要求ならば、それを解消すればいいです。
つまり、周りに対する要求を下げればいいのです。

では、どうしたら周りに対する要求を下げることができるでしょうか。
そのためには、まずどうして私たちは周りに高い要求を持ってしまうのかを考えましょう。

私たちが周りに高い要求を持ってしまうのは、自分自身に対する要求が高いからです。
「こうでなければならない」という思い込みが強いのです。
だから、周りにもそれを強要してしまう。
心情としては、「俺がこれだけ頑張ってるんだから、お前も頑張れ」というような感じです。
このように考えると、非常に浅ましい考えですね。
周りが思い通りにならないことに対し、イライラするのは非常に見苦しい行為なのです。

変えられるのは自分のみ

自分に厳しいのは勝手ですが、それを周りに押し付けてはいけません。
周りが何を考え、どのように行動していようが、それはその人の勝手です。
それを自分の思い通りにしようとするのは、考え方が根本から間違っています。
周りが思い通りにいかないことに対し、イライラするというのはそういうことなのです。

結局のところ、自分が変えられるのは、自分のみです。
いくら周りが気に入らなかろうと、それを自分の力で変えることはできません。
できるのは、考え方を変えること、それによって事実の受け止め方を変えることくらいです。
もし、それができないのであれば、グダグダ文句を言わず、さっさとその場から立ち去ればいいだけの話なのです。
文句を言っても何も変わらないので、建設的な行動をとりましょう。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

疲れが取れないのは、反応しすぎているから?無駄に感情を動かさない方法!

別に何か大変なことをしたわけではないのに、
「だるい…」
「やる気がでない…」
こんなことはないでしょうか?

こうなってしまうと、何もやる気が起きません。
そして、やる気がないくせに、そうやって怠けている自分に「このままではいけない」と思う気持ちもあります。
そのせいで、休もうにも心が休まらない。
結局、休めもしないし、かといって何かをするわけでもないという、意味のない時間をダラダラ過ごしてしまうことになりかねません。

こうなってしまう根本原因は、日々の生活で無駄に反応しすぎてしまっているせいなのです。
ちょっと嫌なことがあったり、腹が立つことがあるたびに感情を荒げる。
感情が動くというのは、意外とエネルギーを消費します。
こういったことを日常的に続けていくと、知らず知らずのうちに心が消耗していってしまうのです。

無駄な反応をなくす

身体感覚を意識する

では、どうすれば日々の無駄な反応をなくすことができるのでしょうか?
そのためには、感覚に意識をむけることが有効です。
たとえば、自分の呼吸に集中する、聞こえてくる音に集中するなどです。

人間が考えられることには限界があります。
何個も並行して物事を考えることはできません。
ですから、感覚に意識をむけることで、感情に意識を割けなくなるのです。
これは、運動すると嫌な気持ちがリフレッシュされるのと同じ原理です。

身体感覚に集中するには、単純作業がもってこいです。
徒歩での移動中や家事の最中など。
そういった、できればやりたくないものも工夫次第でリフレッシュの時間になるのです。

客観視も有効

また、自分の思考や行動を客観視することも有効です。
客観視するためには、言語化するといいです。

「私は今○○をしている」
「私は今○○と考えている」
といった具合です。

このように動作を一つ一つ確認することで、自分のことを冷静に見れます。
そうすると、無駄な反応も客観的に見ることができます。
客観的に見れるものは、自分の意思で食い止めることが可能なわけです。

ちなみに、このように自分自身のことに気づくことを、仏教では「サティ」というそうです。

感情を感情で打ち消そうとしない

逆に、感情を感情で打ち消そうとするのは、あまりよくありません。
たとえば、仕事のストレスをパチンコやソーシャルゲームなどで発散するなどですね。
ストレスを感情の昂りで打ち消そうとしているのです。

感情を動かすのは、かなりのエネルギーをします。
感情の使い過ぎで疲れているのに、その状態でさらに感情を使ってしまったら、心が休まるはずありません。

心が疲れていると感じたら、まずは無駄な反応や感情を押さえることを意識しないといけないのです。

これも修行のうち。 実践!あらゆる悩みに「反応しない」生活