成果を上げていないと結局何を言っても価値が無い
何か発言したとしても、そこには必ず自分の信用がついて回る。
自分に信用が無ければ、どれだけ立派なこと、正論を言っても意味はない。
そもそも聞く価値があると思われない。
しかし、これは仕方のないこと。
信用と言うのは、この人ならやってくれるという信頼である。
その信頼は、結果を残すことでしか得ることができない。
任せた仕事をしっかりやってくれる、何らかの事業で実績を上げた。
そういった結果が伴って、はじめて信用が生まれる。
つまり、発言が説得力を持つようになるためには、結果を出さないと意味が無い。
結果が出るというのは、つまり正しいということ。
たとえば、事業創出のセミナーがあったとする。
そこの講演者が自分では事業を立てたことが無い人だったらどうだろうか。
その発言に説得力があるだろうか。
自分で実際やった人なら、その発言は正しいと胸を張って言える。
なぜならその考えで事業を創出することができたのだから。
このように、人は結果が伴わないと発言権を持たない。
別に発言するのは勝手だが、それに価値が伴わない。
その発言に再現性や正当性が存在せず、それを保証することもできないからである。
たとえば、無職やフリーターが何か正しいことを言っても、「でも無職なんでしょ?」の一言であしらわれてしまう。
どれだけ高説を垂れようとも、その発言の正当性が現実社会で証明できない以上は仕方ない。
平社員が会社に口を出す時も同じである。
「下っ端がわかったような口を聞くな」の一言でおしまいである。
もちろん、そうした弱者の発言が封殺されてしまうのがどうなのか、という問題はある。
しかしながら、往々にしてそうした人間の発言には価値がない。
この価値が無いというのは、「社会の便益を高める」という意味において、その貢献度が低いという意味である。
どれだけ無職の言い分を聞いたところで、彼らは社会にとって何の便益ももたらさないので、意味が無いのである。
(もしかしたら便益が高まるかもしれないが、その可能性は低く、保障もされない。)
だから何か思うことがあれば、実績を残すしかない。
実績を残し、自分と言う人間の発言に一定の価値、耳を傾けるだけの価値があると周りに思わせないといけない。
自分の意見を通したいのであれば、まず自分自身の価値をそれだけ高めていかないといけない。
そのためには、行動し、実績を積み重ねないといけない。
我々が社会で生きる以上、これは仕方のないこととして受け入れるしかないし、その方がかえって楽に生きられる。