b00k.jp ~積み上げ式読書ノート~
公開日:
最終更新日:2017/09/02

「年上=偉い」の価値観は現状にそぐわない

年上=偉い

日本では、年上を敬うのが当たり前である。
その根拠は、年齢を重ねること=人間として格上であるということである。
これは、個々人の人生や経験が同じようなものであるときは通用する。
たとえば、安定した環境で同じような人生を歩み、そしてそれが保障されるような場合である。
ムラ社会や終身雇用の会社などがそれにあたる。
そうした集団では、個の多様性は認められず、同じようなバックボーンを持った人間しかいない。
そうであれば、年数を生きる=経験を積んだ人間の方が、能力的にも上であろう、という理論である。

しかし、この考え方は徐々に現状にそぐわなくなってきた。
今は同質の安定した集団と言うのが崩壊している。
同じような人間の集まりからは、革新や進展が生まれない。
そして、それは競争社会における生き残りという意味において致命的な欠陥である。
周りが変化していく中、変化をしないということは、相対的に後退していることと同じだからである。

そのような理由から、昨今では人材の多様性が重視されている。
会社の人事戦略でもそのような流れになっているし、転職市場の整備による人材の流動性の高まりもその一手を担っている。
つまり、現状では安定した同質の人間の集まりと言うのは、存在できなくなっている。

「年齢が高い=偉い」の図式は、そうした集団の中においてのみ有効なものであった。
異なるバックボーンを持つ人間の間では、単純な年数は意味を持たない。
密度の高い1年と、密度の薄い10年であれば、前者の方が経験としての質は上かもしれない。
そうした状況の中、「年齢が高い=偉い」の価値観はその根拠を失っている。

では、そうした集団がなくなった今、その価値観もなくなったかと言えばそうではない。
いまなお根深くこの価値観は残り続けている。
それは単純に世界の変化と人の意識の変化に差があるからに過ぎない。

一体何が言いたいのかと言うと、年齢によって人を判断してはいけない、ということである。
それは他人もそうだし、自分においても同じことである。
相手が年下だからと言って、無意識に頭ごなしに決めつけるようなことを言ってはいけない。
同時に、相手が年上だからと言って自分をむやみに卑下する必要はない。
自分も相手も同じ一個人に過ぎない、という意識を持てばよい。
年齢でなく、その人となりで敬うかどうかを決める。

とは言え、実際にそのようにふるまえば、考えるまでもなく年長者の反感を買うことになる。
彼らの中では、自分たちは敬われるべき存在であり、そうしない人間は許されない存在なのである。
これは彼らが何十年もそうした価値観で過ごしてきたのだから当たり前である。
それがたとえ現状にそぐわなかったとしても、それが人間なのだから。

そうした前提を理解した私たちは、二つの価値観を器用に使い分けていかないといけない。
年上に対しては、通常通り敬い、へりくだる。
年下に対しては、驕らず、彼らを一個人として扱い、対等に接する。
そうして人間の意識を現実に少しずつ合わせていく、橋渡しをしなければいけない。


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