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公開日:
最終更新日:2017/09/01

なぜ現代人は生き辛いのか?

なぜ現代人は生き辛いのか

現代人が生き辛さを感じる大きな理由として、生きる意味が無いことが挙げられる。
では、現代以前はみな生きる意味を持っていたのかというとそうではない。
そもそも、現代以前は、生きる意味を考える必要が無かった。
個人は常にどこかの閉じた集団に所属しており、ほぼ一生をそこで過ごす。
そういう前提のもとでは、集団に服従し、一体化することが求められた。
というよりは、それ以外の生き方の選択肢が無かった。
そうであれば、それに従って生きるのみ。
そうすることで、身の安全や将来も保証されていたのだから、とくに考える必要はなかった。

しかし、現代では様子が変わってきている。
閉じた集団が機能するのは、外部環境が安定しており、その集団が外部からの影響を受けない時のみである。
具体的に言えば、外国との交流がなかったり、異民族の侵攻が無かったりと言った状況である。
グローバル化は、まさに異民族の侵攻ともいえる。
物理的に安全や生命が脅かされることはないが、経済的に窮地に立たされているのが実情である。
つまり、現代において閉じた集団は機能しないのである。

閉じた集団は、個人にとって生きる意味を与えていた。
正確には、考える必要性を与えなかった。
だが、その集団が機能しなくなった時、人々は生きる意味を考えないといけなくなった。
集団に属していた時は、そこの掟に従えばいい。
そうすることで、生活や未来が保障されていた。
人は人生が上手くいっているときは、特段生きる意味を必要としない。
なぜなら、生きているだけで楽しい、それだけで十分に意味があったからだ。

しかし、人間はひとたび過酷な状況に陥ると、生きる意味を欲するようになる。
生きることは苦しく、辛い。
しかし、死ぬことはできない。
では、なぜそうまでして生きる必要があるのか。
それに対する答えを求めるのである。

さらに状況を難しくしているのが、その答えや道筋を示すことのできる人間がいないということである。
しかし、それも仕方ない。
今まで閉じた集団でやってきて、それが上手くいった
それ以外のやり方を知らない人間しかいないのである。
答えはおろか、ヒントもない。

今後、状況は悪くなることはあっても、良くなることは決してない。
より過酷になる環境の中で、より一層強く生きる意味を問われることになる。
そうなった時に私たちは、それに耐えられるだけの答えを持ち合わせているだろうか。


「私」を生きるための言葉――日本語と個人主義

カテゴリー: 生き方
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