現状にそぐわない、日本のムラ社会から脱却するにはどうすればいいか?
目次
共通認識を前提とするムラのコミュニケーション
ムラのコミュニケーションとは何か。
ある共通認識を前提においたコミュニケーション。
そこから逸脱することは、異分子であり、不正解である。
内部的ないざこざを起こさない、安定という意味では優れているが、革新や進歩といったことは起きない。
現代では、このようなムラの価値観が機能しなくなっている。
ムラの価値観に従い続けることは、物理的に生きていく上で不利になるし、自分の心も損なうことになる。
なので、こうしたムラの価値観から脱却することが必要になっている。
ムラの価値観は根深く私たちに根付いている
ムラの価値観を脱するのは難しい。
なぜなら、この価値観は数千年かけて脈々と私たちの中で受け継がれていったもの。
私たちの遺伝子に組み込まれており、無意識的にそれに従ってしまう。
これを意識的に排除していくには、かなりの覚悟が必要であることを、まず認識していかないといけない。
ムラの価値観=自己とムラの同一化
では、どうすればそうしたムラの価値観を捨て去ることができるのか。
そのために、まずムラの価値観とはなんなのかを考える。
ムラの価値観とは、すなわち周りの人間は自分と同質のものであるという考え方である。
ある事象に対する私の感覚と他の人の感覚は、根本においてほとんど同じものであるし、そうでなくてはいけない、という考え方。
そして、そこで通じ合えない時、私たちはその人を異分子だったり、敵などとしてみなす。
このような考え方を辞めることが必要になってくる。
「人というのは、意見が異なるものだし、それで当たり前である。
その違いを認識したうえで、付き合っていく必要がある。」
ムラ社会の前提をこのような前提に書き換える必要がある。
私たちは独立した一個人である、という考え方
では、そのような前提に立つためにはどうすればいいか。
そのためには、そもそも自分自身が独立した一個人であり、誰とも同質な存在ではない、という意識を持つことが必要。
私たちは心のどこかで何らかの集団やコミュニティと自己を同一化しようとする。
そうすることによって、安心を得られるという本能が働いているためである。
この無意識の行動、願望を阻止しないことには、自分が独立した一個人であるという意識を持つことはできない。
そして、同じく他者を独立した一個人とみなすこともできない。
現代においてムラに従属するメリットはない
もはやムラに所属することですべてが保証される時代は終わった。
終身雇用は崩壊し、会社は人生を保証してはくれない。
核家族化により、世間は崩壊し、個々人が自分の身は自分で守らなければいけなくなった。
厳しい経済環境の中、介護という負担の可能性がある、家族でさえも重荷となる。
そうした時代において、ムラと一体化することに大したメリットはない。
自分はこのコミュニティに守られている、というかりそめの安心感を得るだけに過ぎない。
自己を確立することで、はじめて個を尊重したコミュニケーションが実現される
まずはムラに依りかかるのをやめる。
自分と集団を同一化しようとしない。
自分は自分であり、そのありかたは自分で決めていいし、むしろ決めないといけない。
このように、自己を明確に意識し、確立する必要がある。
そうすれば、自分と同じように他人を独立した一個人とみなすことができる。
こうした意識があれば、共通認識を前提としたムラのコミュニケーションから、個を認めるコミュニケーションへとうつることができる。