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日本社会にはびこる「世間」、「内輪」の価値観

世間、内輪

日本社会には「世間」、「内輪」の価値観がはびこっている。
それはすなわち、異質なものを排除する、自分の理解の及ばないものは見えないふりをするという価値観である。
そもそも、なぜそのような価値観が出来上がってしまったのか。

これは外界からの圧力が無い、閉じた環境と言う前提があったため。
そのような環境においては、上手くいっている状態に手を加える必要はない。
今上手くいっているコミュニティにおいて、新しい価値観は必要ない。
そうした新しい考え方は、何か進展をもたらしてくれる可能性もあるが、同時に内部を脅かす可能性もある。
既に上手くいっているのであれば、あえて危険を冒してまで進歩を望む必要はない。
今のままでも十分上手くいっているのだから。
こうした考えが、異分子の排除を促す根底にある。
リスクを冒してプラスを求めるのであれば、ノーリスクで現状維持を選ぶ。
これ自体は非常に合理的である。

しかし、それは、そのような行動をすることで現状が維持できる場合の話。
現代は、西洋化、社会化、グローバル化が進み、外界からの影響を無視することはできない。
外部環境は目まぐるしく変わり、常に変化、適応することが求められている。
その中で、個を殺し、世間に迎合するメリットはない。

そもそも私たちが個を殺し、世間に迎合するのは、そうすることで身の安全を保障してもらえるからである。
ムラの掟に従っていれば、そのムラが安泰である限りは、自分の身の安全も保障される。
そういう理論である。
現代に当てはめて言えば、終身雇用であるから、会社に対して滅私奉公できるのである。

しかし、その前提が崩れ去った今、わざわざ私を殺す必要があるのか。
私を殺すことは、非常にストレスのかかる行為である。
かつては、そうすることで生命、生活、将来と言った様々なものが保障されてきた。
だからこそ、大きなストレスを我慢してでも私を殺すことができた。
大きな犠牲を払って私を殺しても、得られるものは何もない。
この事実に無意識に気づいているから、現代人は生き辛さを感じる。

私を殺し、世間に迎合しても、大したものは得られない。
だから、世間に迎合する必要はない。
世間でなく自分自身に依って生きることが必要。
一人で生きるのは、辛く寂しい。
しかし、それはある種の錯覚でもある。
その寂しいという感情はどこからきているのか。
それは、世間に迎合していたころとの比較から来ている。
だが、もはや現代において世間は機能しない。
一人で生きるのは辛いが、かといって世間に依ることももはや不可能。
そうであれば、自分の心を殺し、世間に寄りかかるのではなく、自分の足で立って生きるしかない。


「私」を生きるための言葉――日本語と個人主義

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