趣味のハードルを下げよう。趣味は楽しんだもの勝ち。
特技と得意なことでアイデンティティを決めつけるのは悪い癖だと思う。
ちなみにアメリカでは得意なこと、特技は聞きあったりしない。
代わりに何に興味があると聞く。
特技を聞かれたら、「興味のあること」を答えておけばいい
「特技は?」
と聞かれて困ることはよくあることです。
これは、特技というと敷居が高くなるのが問題でしょう。
「この程度で特技と言っていいのか…」
などと考えてしまい、答えに詰まってしまいます。
しかし、実際にそれが得意である必要はあるのでしょうか。
そもそも、この特技を聞くというのは、どういう意図があるのでしょうか。
それは、個性を知りたいとか、話のきっかけにしたいとか、その程度の事でしょう。
何も、今からそれを披露してくれという話ではないでしょう。
(絶対にないとは言い切れませんが…)
そう考えると、別に本当に得意なことを答える必要はないです。
少し興味があるくらいのレベルのことを答えておけばいいのです。
興味があることなら、何か突っ込まれたことを聞かれても、多少は切り返すことができるでしょう。
特技を聞かれて、それほど得意でないことを答えても、別に誰も困りません。
ですから、特技を聞かれたら、興味のあることを答えておけばいいのです。
趣味のハードルが高いと誰も得しない
そもそも、何かをするにあたって、それが得意であるかはそこまで重要でしょうか。
別に楽しいのであれば、上手かろうと下手だろうと関係ないはずです。
「特技は?」という聞き方は、暗に「興味があるのなら、それなりに上手いはず」というプレッシャーが感じられます。
だから、返答に窮してしまうのです。
このような風潮は、よくないです。
なんとなくみんながお互いにハードルを上げてしまっているので、なかなかそれを人前で披露できなくなります。
歌が好きなら、上手いはずだ。
絵が好きなら、素晴らしい絵が描けるはずだ。
ダンスが好きなら、相当キレのある踊りをできるはずだ。
このような目に見えないプレッシャーがあるので、気軽に披露することができなくなるのです。
そうなると、やっている本人はなかなかレベルアップの機会がありません。
また、発表して周りに刺激を与えるという循環も生まれないので、周りもレベルアップしていきません。
どれだけ突き詰めていっても、個人の中で終わってしまうのです。
このような悪循環を断ち切るためにも、まずは個々人が趣味のハードルを下げるべきです。
そうすることによって、自然と周りへのハードルも低くなり、互いに刺激しやすい環境になっていくでしょう。
それに大事なことは、それを楽しむことです。
趣味なんて、楽しんだもの勝ちです。
別にお金のためにやっているのではありませんから。
「この程度で趣味と言っていいのか…」なんて考えるだけ時間の無駄です。
好きなら、別にそれが趣味であり、特技であると言って、何か問題があるのでしょうか?
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