他人に振りかざした自己責任論は、いつか自分に返って来る。
私たちは、どうしても自分より下の人間を見下してしまいます。
自分より下の人間は努力が足りない。
逆に自分が彼らより上に立っているのは、努力したからだ。
そのような自己責任論が背景にあると思います。
しかし、この考えは自分もそうなる可能性があるという視点が抜け落ちています。
自分が見下している相手との差は、本当に自分自身の努力のみでどうにかなるものだったのでしょうか。
もし、その人が相応の努力をしていたら、あなたより上の立場に立つことができたのでしょうか。
はっきりいって、これはわかりません。
そうかもしれないし、そうでないかもしれません。
ただ一つ言えるのは、なんでもかんでも本人の頑張りで片づけてはいけないという事です。
たとえば、まったく同じ能力を持った、AさんとBさんがいるとしましょう。
Aさんは好景気の時に大学を卒業したので、待遇のいい起業の正社員になることができました。
一方、Bさんは不景気の時に卒業したので、正社員にはなれず、契約社員になってしまいました。
賃金という観点で見れば、圧倒的にAさんの方が上です。
しかし、これを自己責任だけで片づけられるでしょうか。
だからと言って、自分より下の人間に同情をした方がいい、という事を言いたいわけではありません。
自分は運がよかっただけということを理解していないと、いつか大きな困難にぶつかるという事を言いたいのです。
もし、全てが自己責任と考える人が、見下していた人と同じような境遇になってしまった時、どうするでしょうか。
おそらく、自分のことを激しく責めるでしょう。
そして、そこから這い上がる術がいないとわかった時、絶望し人生を諦めてしまうでしょう。
他人に振りかざした自己責任論は、いつか自分に返ってくる可能性があるのです。
そして、それは実際に十分起こりうることです。
今自分が見下しているような人たちと同じ状態に、絶対にならないと言えるでしょうか。
そんな根拠はどこにもないはずです。
少し風向きが変われば、自分だって同じ境遇になる可能性は十分にあります。
努力と同じくらい、運の要素も重要なものだからです。
人を見下すのは、全てが自己責任であるという考え、そして自分はそうはならないという考えが背後にあります。
そして、その考えは、自分がその立場に転落した時、自らを激しく責めたてます。
他人に対して向けた鋭さ以上の脅威となって、自らを追い詰めるのです。
人を見下すのは勝手ですが、その結果どうなるかをよく考えてみてはどうでしょうか。
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