わたしたちの価値は、金を持っているかどうかである
私たちの価値とは何でしょうか?
それは、いくらお金を持っているかということに尽きるのではないでしょうか。
そうじゃないという反論もあると思いますが、だとしたら具体的に何なのでしょうか?
人間性や信念などでしょうか。
しかし、私たち凡人の吹けば飛んでいくような薄っぺらい信念にいったい何の価値があるのでしょう?
与えられたものに何の疑問も抱かず、ただ漫然と生きているだけの人間の考えていることに価値などあるのでしょうか?
自身に何も価値がないからこそ、そういった抽象的なものに自分の価値があると思っているのではないのでしょうか。
そうすれば、わかりやすい尺度であるお金から目を背けることができます。
自分の価値を他人と比較せず、曖昧なままにしておけるまず。
つまり、負けたくないから、そもそも勝負の土俵に上がらないということです。
そうやって自分を守っているのです。
たしかに、お金がすべてだとは思いません。
しかし、それは自分自身の中での話です。
他人がそう見ているわけではありません。自分がそう思っているに過ぎないのです。
社会からすれば、わたしたちの価値はやっぱりお金があるかどうかなのです。
どんなに立派なことを考えていても意味はありません。
どんなに優れた人間性を持っていても仕方ないのです。
実体が伴っていなければ、そんなのは御託に過ぎないのです。
なんの価値もありません。
一人で生きていくのであれば、自身の人間性に絶対の価値を置くのもいいでしょう。
しかし、わたしたちは社会の中でしか生きることができません。
どんなに自分は独立した人間だと思っても、やっぱり社会の一部に組み込まれているのです。
であれば、その社会のルール、価値体系に合わせなければいけないという現実も受け入れなければなりません。
それを拒否するのも勝手ですが、目の前にある事実から目を背けて生きていけるほど、現実は甘くありません。
見えないふりをしたツケは、いつかどこかで必ず払わなければなりません。
もし、人間の価値はお金では決まらないと思うのであれば、まずはお金を持つことが必要です。
社会の要請を満たした上でしか、私たちのお金以外の価値には目を向けられません。
お金を持つことで、はじめて自分の価値がお金以外のものによって定義されるのです。
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