わたしたちに生きる価値などない
「自分の価値を高めることは大事」
この意見に意義を唱える人はいないでしょう。
しかし、ではなぜ自分の価値を高める必要があるのかと聞かれて、明確にその理由を答えられるでしょうか?
ただ、なんとなく思っていることには意味がありません。
それは、行動に繋がらないからです。
考えてもみてください。
ただ漠然と自分の価値を高めた方がいいと思っている人間が、必死でそうしようとするでしょうか?
おそらく、ただ思っているだけで何も行動は起こさないでしょう。
自分の価値を高めるには、まずその意欲を持つことが大事です。
そのために今回は、自分の価値を高めなければならない理由を考えていきましょう。
生かしておくだけの価値があるか?
人は一人では生きていけません。
わたしたちは、コミュニティや社会のなかで生きていきます。
これは、当たり前の感覚でしょう。
しかし、わたしたちは一つ大きな勘違いをしています。
それは、社会やコミュニティは無条件に自分を守ってくれるということです。
コミュニティが自分のことを守ってくれるのは、守るだけの価値がある場合のみです。
守ることによって保持される利益よりも、守ることにかかるコストの方が高い場合、あなたに守る価値はないのです。
守るというと、イメージがわきにくいかもしれません。
これは、お金を貰うことに置き換えてもいいでしょう。
お金を貰えるということは、すなわち生活を守られているのと同じです。
「生活を守ることにかかるコスト」と「守ることで社会に還元される利益」との兼ね合いで、
わたしたちは存在していいかを決められているのです。
結局、メリット・デメリット
「そんなことはない!」と思う方もいるでしょう。
気持ちはわかります。
でも、本当にそうか考えてみましょう。
たとえば、コミュニティに余裕があれば、役に立たない人間を養うこともあるでしょう。
でも、それでさえもメリットとデメリットを天秤にかけているのです。
すなわち、「ほっておいて死んでしまったら、寝覚めが悪いという気持ち」と、
「その人間の世話をするのにかかるコスト」を比較しているのです。
このうちの、「寝覚めの悪さ」が勝ったから養っているだけなのです。
生活が苦しければ、同じようにはならないでしょう。
別に人間が善意の生き物だから、そうしてるのではなく、ただ単にそうすることにメリットがあるだけなのです。
現実はそうなのです。
それに異議を唱えても仕方ありません。
時間の無駄です。
だったら、現実を受け入れて、どうすればいいかを考えた方がずっとマシなのは考えるまでもないでしょう。
わたしたちは、ペットのようなもの
いままで見てきたように、わたしたちは生きていくために、自分の価値を高めないといけません。
「では、さっそく自分の価値を高めなければ!」
そう思う方もいるでしょう。
しかし、その前に一つ考えなければならないことがあります。
それは、果たして今の自分に価値があるのかということです。
わたしたちは一応こうやって生きています。
でも、それは果たして価値があるからなのでしょうか?
それとも死んじゃったらかわいそうだと情けをかけられているのでしょうか?
おそらく、大半の人は後者でしょう。
そして、大勢のわたしたちのような人間が生きながらえているのは、周りにそれだけの余裕があるからです。
国、会社、家庭…
そして、その余裕は刻一刻となくなっています。
少子高齢化、発展途上国の台頭、そして次の時代への一手もない。
そうして、余裕がなくなったときわたしたちは一体どうなるのでしょうか?
自分の生活がどうしようもなくなったとき、ペットをどうするかを考えてみるといいかもしれませんね。
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