どうすれば幸せになれるか?「幸福の種をまく」という方法。
新しい収益源を作ることを、樹を育てることにたとえて、「種を蒔く」なんて言いますね。
実は、これはお金以外のことにも通ずるようです。
今回紹介する『努力論 (岩波文庫)』では、幸福を得るためには、幸福の種を蒔いておく必要があると説きます。
では、幸福の種を蒔くとは、一体どういうことなのでしょうか?
目次
そもそも、幸せとはなにか?
幸福の種を蒔くことについて考える前に、少し幸福ということについて考えてみましょう。
幸福とは一体なんでしょうか。
具体的なものは人によって違うでしょう。
美味しいものを食べること、たくさんの仲間と楽しくやること、自分のペースで生きていくこと。
では、これらに共通するのは何か?
それは、楽しいという感情ではないでしょうか。
たしかに、楽しいからといって、それらがすべて幸せというわけではないでしょう。
ですが、少なくともつまらないと思ってしまうようなことが、幸せに繋がるとは思えません。
つまり、幸福とは自分が楽しいと感じる瞬間のことなのでしょう。
幸せの種をまくとはどういうことか?
幸福の定義がはっきりしたところで、本題に戻りましょう。
なんの話をしていたかというと、「幸福の種を蒔く」ことについてです。
幸福は、自分が楽しいと感じられることを指します。
ということは、幸福の種を蒔くとは、自分が楽しいと思えるような状況をもたらしてくれるような準備をしておくと言えるでしょう。
少しややこしくなりましたね。
要するに、将来自分が楽しくなるように準備をするということです。
幸せの準備をするという考え方
では、次に準備とは何か?について見ていきましょう。
準備といわれてもいまいちイメージがわかないかと思います。
こういうときは、具体的な例で考えてみるのが一番です。
たとえば、ある人の幸福が穏やかに暮らすことだとしましょう。
では、そのために必要なものはなんでしょうか。
お金、家族、健康、安全、生き甲斐
さまざまかと思います。
ここでは、一例として健康について見ていきましょう。
健康という幸福を得たいのであれば、健康の種を蒔いておく必要があります。
つまり、将来自分に健康をもたらしてくれるような準備をするのです。
どのようなものが考えられるでしょうか?
たとえば、運動を習慣にすることが考えられます。
あとは、食べ過ぎないよう腹八分目を心がける、お酒、煙草を控えるなどがあるでしょう。
では、これらに共通することは何か?
どれも、何かしらの我慢を伴ってますね。
運動は、ゆっくり横になっていたいという欲求を我慢する必要があります。
腹八分目は、お腹いっぱい食べたいという欲を我慢しないといけません。
お酒、煙草も同じですね。
つまり、幸福の種を蒔くということは、現在の幸福を諦めることでもあるのです。
幸せの総量は変わらない?
幸福の種を蒔くとは、今の幸福を諦めること。
しかし、だとしたら幸福の総量は変わらないのでしょうか?
いま幸福を享受するか、後になってから幸福を享受するかだけの違いなのでしょうか?
もし、そうだとしたら種を蒔くことにあまり意味は無いように感じます。
たとえ、種を蒔いたとしても、それが大きく育つまで私たちが生きていられるかはわかりません。
だとしたら、いま確実に幸福を享受した方がいいように思えます。
幸福を貯金に例えてみたらわかりやすいかもしれません。
貯金をすれば、将来生活が豊かになるでしょう。
しかし、必死に貯金しても、それを使う前に死んでしまえば、意味がありません。
だったら、いますぐに使えば、お金も無駄にならないということです。
ですが、本当にそうなのでしょうか?
これは蒔いた種とそこから得られる収穫が同じの場合です。
もし、蒔いた量より収穫できる量が多ければ、話は変わってきます。
たとえば、木の実をひとつ植えて、めでたく立派な樹に育ったとしましょう。
その樹から得られる実は、植えた量より確実に多いでしょう。
そうでなければ、いつまでたっても樹が増えませんからね。
これと同じことが、幸福についても言えるのではないでしょうか?
種をまくと、幸せの総量は増えるのか?
では、ほんとうに蒔いた量より収穫できる量が多くなるかを考えてみましょう。
さきほどと同じように、健康で考えてみましょう。
もし、お酒を毎日大量に飲んだら、あと20年で死んでしまうとします。
一方、量を半分にすれば、40年生きられるとします。
毎日飲む状態から、2日に1回にすることで、寿命が倍になります。
寿命が倍延びれば、人生で飲めるお酒の総量も倍になります。
1/2が倍になるから、総量は変わりませんね。
その上、人生が長くなるから、そのぶんお得です。
それに、長くお酒をたしなんでいれば、お酒の新しい魅力に気付くかもしれません。
そうなれば、ますますお酒を飲むことが幸福になるでしょう。
こう考えると、どうやら幸福の総量は増えているようです。
別の例でも考えてみましょう。
たとえば、人に出資すること。
出資した人が成功すれば、実りを分けてくれるかもしれません。
もし、成功しなかったとしても、逆の立場になった時に支えてくれるかもしれません。
裏切られてしまうこともあるでしょう。
しかし、それは出資する対象が少ないからです。
複数の人に出資すれば、一人に裏切られた分を補填できます。
つまり、他人への支援の量を増やし、応援する人間を増やせばいいわけです。
このように考えると、幸福においても蒔いた量より収穫できる量の方が多いと言えそうです。
幸せになるためには準備が必要
以上のことから考えれば、どうやら私たちは種を蒔いた方が良さそうです。
種が芽を出し、樹になるまでは時間がかかります。
しかし、そこから得られる量は、確実に植えた時の量よりも増えます。
ですから、できるだけ早くたくさん種を蒔くのがいいでしょう。
しかし、ただ蒔けばいいというものではありません。
しっかりと芽が出る場所を見極める必要があります。
せっかく蒔いた種が芽を出さなかったら、もったいないですからね。
今回は本筋と離れてしまうため、詳しくは書きませんが、種を植える場所はよく吟味した方が良さそうです。
そして、当然ですが収穫したいものの種を植えなければ意味がありません。
これはつまり、自分がしてもらいたいことを他人にするとか、自分の大事なものを人に与えるとかが考えられるでしょう。
その時は、抵抗があるかもしれませんが、与えたぶんがいつかもっと大きくなって返ってくるということを思い出しましょう!
自分が考える幸福とは何なのか?
そして、将来それを得るためにどんな種をどこにまけばいいのか?
こういったことを考えることが、将来の幸福につながるのです。
当たり前ですが、ただ待っているだけで幸せが向こうからやってくるわけではないのですね。
今回のまとめ
・幸せとは、楽しいという感情のこと。
・幸せを得るための準備をすれば、その総量は増える。
・逆に言えば、準備をしなければ、幸せは享受できない。
・待っているだけでなく、積極的に動いていくことが大事。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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