b00k.jp ~積み上げ式読書ノート~
公開日:
最終更新日:2016/06/19

この世につまらないものなどない。ものごとに楽しみを見出す方法。

「楽しく生きること」
これは大事なことです。
しかし、これを取り違えると大変なことになります。
楽しく生きることは、楽しいことだけをするわけではないのです。
ほんとうにそれだけで生きていけるのならば、それでもいいのかもしれませんが…。
今回は、楽しさを見出すことについて考えていきます。

楽しみを見出す方法

この世につまらないものなどない

つまらないものというと無数に思いつくかと思います。
仕事、学校、勉強、移動時間、待ち時間、炊事、洗濯…
こう考えると、世の中はつまらないことだけです。

ここで少し考えを変えてみましょう。
たとえば、スポーツは楽しいものでしょうか?
これはある人にとってはイエスであり、ある人にとってはノーでしょう。
運動が好きで好きでたまらない人がいる一方で、そんなことをするくらいなら家でのんびりしたほうがいいという人もいます。
それでは、一体スポーツとは楽しいものなのでしょうか?
それとも、つまらないものなのでしょうか?

結局これは、その人がものごとに楽しみを見出しているかどうかの違いなのです。
スポーツを楽しいと思う人は、スポーツに楽しみを見出している。
そうでない人は、楽しみを見出していない。
ただそれだけの話なのです。
ということは、スポーツは別に楽しいものでも、つまらないものでも何でもないのです。
スポーツはスポーツでしかないということです。

もっと言えば、スポーツを楽しいと思っている人でも、何に楽しみを見出しているかは人それぞれです。
単純に身体を動かすのが楽しいのか。
やるたびに上手くなっていく事が快感なのか。
仲間と何かを成し遂げるのがたまらないのか。
ものごとに決まった楽しみというのはないのです。

つまり、ものごとを楽しめるかどうかは、自分次第ということです。
ものごとはものごとでしかなく、そこに楽しいもつまらないもないのです。

能動的にはたらきかけることで楽しみが見えてくる

私たちの周りには、つまらないものがあふれているわけではありません。
ただ単に私たちが、そのものごとに楽しみを見いだせていないだけなのです。
どうせやらなければいけないことならば、つまらないと思いながらやるよりも、楽しんだ方がいいですよね。
では、どうしたらものごとに楽しみを見いだせるのでしょうか?

たとえば、私の体験なのですが、読書を例にとって考えてみましょう。
最初は、そこまで読書を楽しんではいませんでした。
ただ、本を読めばなんとなくいいことがあるのではないかといった漠然とした思いがあっただけです。
そのような意識なので、正直そこまで得るものはありませんでした。
著者の考えを読んで、納得はするが、しばらくすると忘れてしまう。
それでもなんとなく意味があるようなことをしている気がしたので、続けていました。
意味を見出していなかったので、ただの作業だったんですね。

ただ、こんなことを繰り返していくうちに、すんなりと著者の意見を受け入れられなくなってきました。
「あの本にはこう書いてあったけれど、この本は違うな」ということが増えてきたんですね。
こうなってくると、何も考えずに著者の意見を受け入れることはできません。
すると自然と考えるようになるんですね。
「どうしてこの本と、あの本では言っていることが違うのか?」
「自分の読み違いなのか?」
「もしかしたら、前提としている状況が違うのか?」
「片方は嘘なのか?」
「あるいは両方とも間違っているのか?」

そうするとだんだん読書の楽しみが見えてきます。
著者の意見をいったん取り込んで、自分の中で考える。
そうすることによって、はじめて本の内容が自分の血肉となるのです。
その内容に納得しても、そうでなかったとしてもです。
いずれにせよ、自分の意見とその根拠を身につけることができるのです。
自分の意見とは、ものの見方と同じです。
つまり、自分の意見が増えれば増えるほど、世の中の見方が広がります。
それは、自分の見える世界が広がっていくことと同じです。
この世界が広がっていく感覚が、読書の楽しみと言えるでしょう。

この話から言えることは、ひとつ。
受動から能動に切り替えることによって、楽しみを見出せるということです。
この例で言えば、著者の意見を鵜呑みにするという能動的行動から、自分で批判的に考えてみるという能動的行動に切り替えたことです。
受動から能動になるということは、ものごとに対して自らはたらきかけることです。
はたらきかけるためには、考えないといけません。
聞くのは考えなくてもできますが、話しかけるには考えないといけないのと同じことです。
そして、考えることがものごとから楽しみを引き出してくれるのです。

能動的になるためには?

能動的とは、それに対して考えるということです。
ですから、能動的になるためには、目の前のものごとに対して考えましょう。

しかし、考えるといっても、何を考えればいいのでしょうか。
まずは、目の前の出来事を疑ってかかってみるのがいいです。
「これはなぜ存在しているのか?」
「どうしてこれをやらなければならないのか?」
「本当にこれは必要なことなのか?」

そしてこの際気をつけたいのが、結論に根拠を持つことです。
たとえば、「やらなければいけないからやらないといけない」とか、「必要かどうかは問題じゃない。とにかくやるんだ」というような結論は、結論とは言えません。
これは結局考えていないのと同じです。
「なぜAなのか?」と聞かれて「Aだから」と答えているのと同じです。
これでは、ものごとに対し、能動的にかかわっているとは言えません。
ものごとにやらされているうちは、楽しみなど見いだせないのです。

一つの問いを考えるのは、しんどい作業です。
なかなかこれといった答えが見つからないものです。
しかし、ひとつ納得のいく答えが出れば、思考は瞬く間に広がっていきます
どんどんものごとに対して積極的にかかわっていく事ができるのです。
ですから、まずは一つの問いに対して真剣に考えてみるのをおすすめします。

人生も同じこと

世の中のものごとはただ存在するだけです。
それを楽しいと思えるかどうかは、自分がそれに気づけるかどうかなのです。
そして、これは人生にも通じることなのではないでしょうか?

人生は、素晴らしいものですが、楽しいものかと聞かれたら自信を持ってそうだとは言えないでしょう。
もちろん、楽しい瞬間はたくさんあります。
しかし、それ以上に辛かったり、面倒だったり、退屈な時間の方が多いのではないでしょうか。
生活のためにしたくもないことをしたり、かかりたくもない病気になったり。

「つまらない時間を上回る楽しみがあるから、トータルでは人生は楽しい」という考え方もあるでしょう。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
これから先私たちの人生も楽しいことが一つもないかもしれません。
辛いことだらけかもしれません。
そうなった時に、私たちの人生は意味のないものになるのでしょうか?

これも結局は、とらえ方の問題なのだと思います。
人生は意味のあるものでも、また意味のないものでもないのです。
結局は、自分がそこに意味を見いだせるかどうかだけの問題なのです。

どうせ過ごすなら、無意味な人生より、意味のある人生の方がいいでしょう。
だったら、人生に対しても能動的にかかわっていくべきです。
そのためにも、目の前のものごとに能動的にかかわるべきなのです。
なぜなら、人生は目の前のものごとへの対処の連続だからです。
その一つを能動的に処理できないのに、人生に意味を見出すことなど不可能なのです。
人生に楽しみを見出すためにも、まずは目の前のものごとについて真剣に考えてみてはどうでしょうか?

今回のまとめ

・つまらないものなど存在しない。それは単に楽しみを見出していないだけ。
・楽しみを見出すには、能動的になることが大事。そのために考えよう。
・まずは、目の前の出来事そのものに疑問を持つ。そこから思考が広がっていく。
・人生も同じこと。考えることではじめて楽しみを見出せる。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

フロー体験入門―楽しみと創造の心理学

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