努力は大事なことです。
何かに集中して打ち込むことなしには、なにも成し遂げることはできません。
それは、ことの大小に関係ありません。
しかし、努力したからと言って必ず報われるわけではありません。
報われない努力もあります。
では、一体努力とは何なのでしょうか?
今回は、努力の先に望むものについて考えていきます。
努力したからといって、報われるわけではない
現状を脱し、報われるために努力するというのは、大きな力を発揮します。
なぜなら人間は、ゼロをプラスにするより、マイナスをゼロにする欲求の方が強いからです。
しかし、努力したからといって必ず報われるわけではありません。
一生懸命努力したのに何も変わらないこともあります。
もしかしたら、今よりももっと厳しい状況になっているかもしれません。
これは残酷なようですが、当たり前のことなのです。
現状を変えるというのは、自分のコントロールの外のものを変えようとすることです。
周りの人からの称賛や報酬というのは、努力したからといって得られるものではありません。
それらは、自分の努力とは全く関係ないところで変わっていきます。
そのように自分の力では変えられないものがあるのです。
努力によって得られるもの
努力では変わらないものがあることがわかりました。
では、頑張ったけれども何も変えられなかったら、その時間に意味はあるのでしょうか?
きっと意味を感じられないでしょう。
では、報われない努力とは全く無意味なものなのでしょうか?
努力は必ず報われるという幻想を抱いている限りはそうかもしれません。
報われる努力がある一方で、報われない努力もあります。
しかし、これは「報われる」ということの捉え方が間違っているのではないでしょうか?
報われるというと、有名になったり、生活が豊かになったりすることをイメージしがちです。
ですが、これらは結果にすぎません。
努力によって得られるのは、それに取り組むなかで培われた自分の能力です。
それによって得た技術や価値観、取り組むなかで考えたこと、悩んだこと…
努力によって得られるのはそこまでです。
そうして得たものが、人からの称賛や報酬を生むことはあります。
しかし、それは絶対ではないのです。
頑張った時間を無意味なものにしない
もし、努力の目的をコントロール外のものを変えるのではなく、自分を成長させるためのものと捉えたらどうでしょうか?
コントロール外のものと違って、自分自身は頑張ったぶんだけ成長することができます。
そして、自分の成長を感じることができれば、周りからの称賛や報酬を生み出さなくても、費やした時間に意味を感じることができます。
過ごした時間を無駄なものだったと思ってしまうのは、とてももったいないことです。
なぜなら、その時間から何も学ぶことができないからです。
「あの時間は無駄であった」という結論以上のものがでないのです。
努力した時間というのは、学ぶもの、得るものが多い時間のはずです。
それを無駄だったと結論づけ、そこから何も学べないのは悲しいことです。
そうならないためにも、努力の意味を捉え直すことが大事です。
今回のまとめ
・努力は報われないこともある。
・報われることを目的とすると、そうならなかった時、努力に費やした時間は意味を失う。
・努力が約束するのは、自分の成長のみ。
・費やした時間を無意味なものにしないために、努力の意味を捉え直そう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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