b00k.jp ~積み上げ式読書ノート~
公開日:
最終更新日:2017/06/08

人生に正解はない。自分の頭でしっかり考えよう!

何かをはじめるときに不安はつきものです。
経験もないですし、上手くいくかもわかりません。
そんなときに、他人から「上手くいくわけないからやめておけ」なんて言われたら、本当にやめてしまいかねません。

しかし、本当にこれでいいのでしょうか?
今回は、自分で判断することについて考えていきます。

正解はない

何かをしようとすれば、必ず批判される

なにかをしようとすると、必ずと言っていいほど批判されます。
「そんなのうまくいくわけない」
「もっとよく考えたほうがいい」
などとさまざまな方法で引き止められます。

彼らの言い分は、もっともらしく聞こえます。
しかし、本当に彼らの言っていることは正しいのでしょうか?
よくよく考えてみると、彼らの批判にはさしたる根拠はありません。

たとえば、自分の常識に当てはまらないから批判するという場合。
これは、ただ単にその人の中の常識の中で間違いなだけであって、それが本当に間違っているかはわかりません。
それは、その人の常識が世間一般のものとほとんど同じであったとしてもです。

世間の常識というのは、あくまで現時点での常識です。
今後変わっていく事は十分考えられます。
天動説も、はじめはばかげた考えだと全く相手にされませんでしたが、結局はそちらの方が正しかったのです。
それと同じことで、常識にそぐわないから間違っているというのは、さしたる根拠にはなりません

あとは、単純にその人の主義に合わないから批判するということもあります。
今まで自分が信じてきたものと違うものと提示された時、人は無意識にそれを否定するものです。
それは、その人にとって間違っているというだけの話であり、わたしたちには関係ない話なのです。

つまり、何か新しいことをはじめようとすれば、必ず何らかの批判を受けるのです。
そして、その批判には、さしたる根拠はないのです。

批判する人も正解を知ってるわけではない

そして、そういう風に批判する人たちは、特に自分の中に正解を持っているわけではありません
批判はするけれど、代わりの意見を出してくれる人はほとんどいません。
彼らも別に正解を知っているわけではないのです。
そのうえで、なんとなく気に入らないから批判をするのです。

根拠もない上に、特に代替となる案もない。
こんな批判に自分の判断を左右されていいのでしょうか?

何が正しいのかはわからない

自分の考えを信じても、間違うかもしれない。
かといって、他人のいい加減な意見を鵜呑みにしてもいけない。
今は正しいと思っていたことも、数年先は間違っているかもしれない。
結局のところ、何が正しいのかはわかりません
人を信じようが、自分を信じようが、失敗する可能性はあるのです。

だとしたら、失敗しないようにするのではなく、自分の納得感でものごとを判断するべきではないでしょうか?
自分の判断であれば、失敗しても自分の責任ですから、諦めもつきます。
中途半端に他人の意見を聞いてしまうから、失敗した時に「あの時ああすればよかった」、「あんなことを言われなければ」などと思ってしまうのです。
他人の意見に行動を左右されてしまうのは、人生を他人に支配されているのと同じです。
自分の人生を生きたいなら、自分で判断するべきなのです。
であれば、他人の意見に左右されず、自分の頭でしっかり考えたうえで判断を下すのが一番いいのではないでしょうか?

自分の頭で考えられるようになる方法

決断では、自分の意見が重要になります。
そのためには、他人の意見に流されないことが大事です。
では、そのためにはどうすればいいのでしょうか。

それは、決断に対し当事者意識を持ち、他人の意見を結論としないことです。
「○○さんがこう言うから、そうなんだろう」という風に安易に結論を出してはいけないのです。
最終的な結論は自分で考えて出す必要があります。

別に他人を信用してはいけない、ということではありません。
その人の意見を全面的に信じるというのも、一つの答えではあります。
ただし、その決断の責任は全て自分が負わなければなりません
そのことによって生じる全ての不利益は全て自分で何とかしないといけないのです。

このような当事者意識があれば、いい加減な判断はできなくなります。
自分の責任であるなら、しっかりと吟味した上で納得行く結論を出すはずです。
だから、大事なのは当事者意識を持つことなのです。

では、当事者意識を持つためにはどうすればいいのでしょうか。
一番手っ取り早いのは環境を変えることです。
全ての責任を自分で取らなければならないような環境に身を置くことが大事です。

親が何でもしてくれる状況
会社が何でも面倒を見てくれる状況
上司や先輩がしっかり管理してくれる状況
このような状況では甘えが生じ、責任を持って生きていくことができません。
「誰かが責任を取ってくれるだろう」という他力本願な生き方になってしまうからです。

そのような状況で甘えをなくすのは、ほとんど不可能です。
甘えが許される環境で甘えをなくすには、強い意志の力が必要です。
甘えという安易な手段があるにも関わらず、それを無視し辛いほうに自ら進んでいかないといけません。
これができるほど強靭な意志があれば、そもそもそのような環境には身をおいていないはずです。
つまり、意志の力だけでは甘えをなくすのは不可能なのです。

だから、環境を変えてしまうべきなのです。
環境を変えれば、甘えという逃げ場がなくなります。
自分でやる以外の選択肢しかなくなるのです。
意志の力を必要としなくても、自分で責任を持って生きていけるようになるのです。

確かに最初は辛いかも知れません。
しかし、人間はそういった状況に置かれれば、勝手に適応するものです。
たとえば、就職したてのころは、朝起きることや毎日8時間働くことが辛くてしょうがなかったはずです。
しかし、1ヶ月もたてばすっかり慣れ、平気で残業もこなせるようになったのではないでしょうか。
このように、わたしたちは想像以上の適応力を持っているのです。
だから、環境を変えるのをそこまで恐れる必要はないのです。

まずは、環境を変えましょう。
甘えることのできない環境に身をおくことが大事です。
そうすれば意識も変わり、人生を当事者として生きていくことができます。
そうすれば、他人の意見を鵜呑みにした、いい加減な判断はなくなります。
自分の頭で考えた、自分の意見でものごとを判断できるようになるのです。

今回のまとめ

・何かをはじめようとすると必ず根拠のない批判される。
・批判する人間も正解を知っているわけではない。
・正解がないのなら、自分の頭で考え、納得いく答えを出すべき。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

君に友だちはいらない

カテゴリー: 仕事術・キャリア
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