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公開日:
最終更新日:2016/06/19

戦後日本から学ぶ「ゼロから這い上がる方法」

先が読めない世の中
今までの常識が通用しなくなっています。
そんな中で、生き残っていくには、今までの価値観にとらわれず、ゼロから新しいものを創り上げることが要求されます。
そんな時代が、近づいてきているのです。

日本にも、かつてそのような時代がありました。
戦争の直後です。
戦後の日本は、ほとんどの主要都市が焼け野原になっていました。
食べるものも、住むところも、何もかもが足りていない状態でした。
しかし、そのようなゼロの状態から、目覚ましい復興を遂げることができました

では、なぜそのような過酷な状況から、ここまでの復興を遂げることができたのでしょうか?
その知識はこれからの時代を生きるために、私たちにとって必要なものです。
今回は、戦後の日本の復興について考えていきます。

戦後の日本史

戦後の日本、復興の軌跡

日本は1945年8月15日に、戦争をやめることを宣言しました。
昭和天皇がポツダム宣言を受諾することを国民に伝える、玉音放送が行われた日です。
そして、9月2日に正式に降伏文書に調印されました。
これが、ポツダム宣言の受諾、国際的な意味で戦争が終結した日です。

終戦ののち、日本は目覚ましい復興を遂げました。
その復興の軌跡はどのようなものだったのでしょうか?
詳しく見ていきましょう。

終戦後の日本は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による改革が行われました。
その改革の思想は、日本を戦争しない、できない国にするということでした。

GHQは、日本が戦争に踏み切った理由を以下としていました。

・制度の不備による内需の不足
・それを補うための市場を海外に求めた
・それを実行するための軍事力を有していた

そのためGHQは、日本経済の活性化により、内需を拡大させようと考えました。
以降に説明する改革は、日本経済の活性化が、その背景にあります。
それでは、詳細な改革の内容を見ていきましょう。

・新円切替
・農地改革
・財閥解体
・1ドル=360円
・朝鮮戦争特需

新円切替

戦後はとにかく物資が足りない時代でした。
需要に対して、圧倒的に供給量が足りていなかったのです。
供給が少ないと、商品の値段が上がります。
つまり、お金の価値が下がる、インフレが起こるのです。

インフレが起こると、ものの売り惜しみが発生します。
今売るよりも、少し後に売った方が高く売れるのですから当然ですね。

しかし、当時は圧倒的な食糧不足
売り惜しみなんてされては、たくさんの死人が出てしまいます。
そのため、インフレを食い止めることが急務でした。

インフレを食い止めるために行ったのが、この新円切替です。
これは、旧円を新円に切り替えるというものです。
そして、その切り替えの間は、預金の引き下ろし額を制限するというものでした。

お金も商品と同じで、世の中に出回る量が減れば、その価値は上がります
つまり、預金を封鎖し、お金の出回る量を減らすことで、その価値を上げようとしたのです。
これにより、インフレを食い止めることができました。

農地改革

新円切替によって、インフレを食い止めることはできました。
しかし、慢性的な食糧不足は解消されていません。
そこで、GHQは農地改革を行いました。

農地改革の内容を見る前に、当時の日本の農業の実態についてみていきましょう。
かつての日本は、大地主が多くの土地を所有していました。
その土地を小作人に貸し、固定給で農業をさせていました。
これを小作農と言います。
サラリーマンの農業版といったところですね。

しかし、この制度には問題点がありました。
1つ目は、「貧富の差が拡大していくこと」です。
小作人は、地主から自分で働いたぶんよりも少ない額しかもらえません。
土地を借りて、農業をしているわけですから当然ですね。
一方、地主の方は、小作人に支払う給料よりも高い値段で作物を売ります。
小作人は働いたぶんより少ない額しかもらうことができない。
地主の方は、小作人が働いたぶん豊かになっていく。
このようにして、貧富の差が拡大していくのです。
そして、貧富の差の拡大は内需の不足をもたらしました

2つ目は、「生産性が低い」ということです。
小作人は、一生懸命働いても同じ額の給料しかもらえません。
だとしたら、一生懸命働く必要はありません。
サラリーマンで言えば、9時から17時まで働きさえすれば、後はどうでもいいといった感じでしょうか。
そのような態度で、生産性が上がるわけはありません。
これによって、日本は慢性的な食糧不足にさいなまれていました。

つまり、内需の不足と食糧問題は、小作農という日本の農業の在り方に原因があったのです。

農地改革は、この小作農を自作農へと変えるためのものでした。
自作農とは、自分の農作地を所有し、そこで農業を営む人のことです。
そのために、大地主の土地を強制的に買い取り、小作農に低価格で分配しました。
これにより、自作農が増え、食糧不足にも改善の兆しが見られるようになりました。

財閥解体

農地改革により、当面の危機は去りました。
しかし、課題は山積みです。
その一つが、経済の活性化です。
GHQは、経済の活性化を阻む要因を財閥による寡占市場にある考えました。
財閥とは、巨大なグループ企業のことです。
この財閥が市場を席巻しているため、新しい会社が生まれない。
だから、経済が停滞している。
「財閥が健全な市場の形成を阻害している」GHQはそう考えたのです。

財閥解体により、三井・三菱・住友・安田の四大財閥はもちろん、その他の大企業も対象となりました。
三菱重工も東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業に解体。
日本製鉄は、八幡製鉄・富士製鉄・日鉄汽船・播磨耐火煉瓦の4社に解体されました。
そしてこの解体で、新しい企業が成長していきました。
たとえば、日本製鉄の解体により、川崎製鉄(現・JFEスチール)や住友金属工業(現・新日鉄住金)が成長したようにです。

財閥解体により、健全な市場の形成の準備が整ったのです。

1ドル=360円

GHQは、日本の発展のためにさらなる施策を打ち出しました。
それが、1ドル=360円の固定為替レートです。
今では、為替と言えば変動性が一般的ですが、当時は固定制だったのです。

ドルから見て、1円の価値が低ければ低いほど、輸出する際に有利になります
アメリカで出回った時に、値段が安いからです。

この為替相場が決められたときは、実際の相場は1ドル=300円ほどであったそうです。
しかし、日本の復興のために実態よりも円安に設定したのです。
事実、日本は対米輸出によって、大きく発展することになりました。

朝鮮戦争特需

復興の体制が整った日本を、さらに勢いづかせる出来事が起こります。
それが、朝鮮戦争による特需です。

朝鮮戦争は、1950年6月に北朝鮮が突如、北緯38度線を越えたことから勃発しました。
戦争による物資の輸送、休暇を日本で過ごす兵士の消費活動により、日本の景気はどんどん良くなっていきます。
隣国の戦争によって、日本は大きな経済成長を遂げることとなったのです。

戦後の復興から私たちが学べる事

戦後日本の復興の流れを見てきました。
そこには様々な要因があったことが分かったかと思います。
新しいシステムの設計、各国の思惑、たんなる偶然…

では、私たちはこれらのことからいったい何を学ぶことができるのでしょうか?
ゼロから新しいものを創り上げるのに必要なこととは一体何なのでしょうか?

ビジョンをもったシステム設計

戦後の復興を見てまず思うのが、そこに明確なビジョンがあったということです。
それは、内需を拡大させるということです。
すべての改革は、このビジョンがもとなっています。

インフレを起こさないこと、食糧問題を解決すること、健全な市場を形成すること…
これらはすべて、内需を拡大させるためです。

たしかに、内需の拡大の目的は、日本に戦争をさせないような支配しやすい国にするためだったかもしれません。
しかし、明確なビジョンを持つことで、それに基づいた一貫したシステムを創り上げることができました。
そして、それによって大きな復興を遂げたのも、また事実です。

頑張れば報われるシステム

財閥解体や農地改革は、健全な市場の形成を目的としたものでした。
健全な市場とは、頑張れば報われるという市場です。

財閥が席巻する市場では、新規参入が太刀打ちできません。
小作農では、どれだけ頑張っても豊かになることができません。
頑張っても報われない社会では、誰も頑張りません。

それが、財閥解体や農地改革によって破壊されたのです。
「頑張れば報われる」
この前提が、戦後復興という過酷な大事業を行うエネルギーを日本人に与えたのではないでしょうか?

もちろん、戦後の人の並外れた使命感や努力もあったと思います。
しかし、その一方でこのシステムが戦後復興に与えた影響も無視できません。

第三者が必要なこともある

財閥解体や農地改革は、戦後の復興に大きな影響を与えました。
そして、これらの改革は、外部からの介入なしには絶対に成立しなかったでしょう。

財閥も小作農の制度も、強い者にとって都合のいい制度です。
財閥は市場を席巻し、利益を独り占めしています。
地主は、小作農を働かせることで、自分は働かなくても、財を成すことができます。

そして、制度は強い者が定めるものです。
強い者は、政治に対する影響力も大きいです。
税金をたくさん払っているんだから、自分たちを優遇しろということですね。
そもそも、親族が政治にかかわる仕事をしていたり、自らが兼任しているなんて場合もあります。
とにかく、制度は強い者の都合がいい方に作られていくものなのです。

制度を作るものが、新しい制度を作る必要性を感じていない。
しかし、今の制度ではやがて大きな問題が起こる。
そんなどうにもならない状態に必要なのが、第三者の介入です。
利害が関係ない第三者にしか、今の制度を破壊することはできないのです。

システムは刷新していかなければならない

戦後復興は、そのシステムによって成功を収めました。
しかし、そのシステムも万能ではありません

農地改革によって、食糧生産性は向上しました。
しかし、国際市場で戦う場合は、その規模の小ささゆえに生産コストが高くつきます。
つまり、安い価格で提供でないので、国際市場で売れないということです。

また、国際市場で戦っていかなければいけないという中で、企業の再編が進みました。
財閥解体で解体された企業が、再び巨大な企業グループを形成し始めたのです。
国際市場で戦っていくためには、そうするしかなかったのです。

このように、最適解というのはその時々で変わっていくものです。
一回作ったらそれで完成というものではなく、常に時代に合わせて刷新していかないといけないのです。

今の時代もシステムの刷新が必要

今の時代も、システムが時代に合わないものとなっています
人口が増加し、経済成長が続いていく…
今のシステムは、そんな状況を想定して作られたシステムです。

しかも、そのシステムは強い者に都合がいいようにできています。
終身雇用や年功序列、年金制度は、経済力のある上の世代にとって都合のいいシステムです。
また、会社という制度も株主にとって都合のいいシステムです。
このように、今のシステムを新しくしようという力が働きません

今のシステムが機能しなくなっており、近いうちに大きな問題が起こる。
しかし、システムを定める人間が、新しいシステムをつくる必要性を感じていない。
これはまさに、戦後と同じなのではないでしょうか。

戦後は、新しいシステムをアメリカが創ってくれました。
しかし、今度は自分たちでやらなければなりません
自分たちで壊し、考え、新しいシステムを創り上げる。
この大仕事を、私たちがこれからやらなければならないのです。
そのために大切なことは何か?
戦後の日本史から学べることはまだまだたくさんありそうです。

今回のまとめ

戦後の復興から学べる事
・明確なビジョンを持つこと。
・「頑張れば報われる」という感覚が大事。
・既存のシステムを壊すには第三者の力が必要なこともある。
・システムは、時代に合わせて作り変える必要がある。
・今の時代もシステムの刷新が必要。それは自分たちでしなければならない。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」 池上彰教授の東工大講義 日本篇 (文春文庫)

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