b00k.jp ~積み上げ式読書ノート~
公開日:
最終更新日:2016/06/19

苦しみにさようなら。わがままな心と決別する方法。

こんにちは。
引き続き「反応しない練習」を紹介していきます。

私たちの心は、何かを欲しいと願ったり、誰かに勝ちたいと願ったり、とにかく常に何かを欲しがっています
そして、その願いが叶わないと、現実と理想のギャップから苦しみが生まれます。
このように私たちは、求め続けるわがままな心によって、常に苦しさを味わうことになるのです。
そこで今回は、「どうすればわがままな心と決別できるか」についてみていきます。

わがままな心と決別する

心はわがままに求め続ける

冒頭でもお話ししたとおり、心というものは常に何かを求め続けています
もっと食べたい。
もっと寝ていたい。
もっと褒められたい。
もっと欲しい。
もっと、もっと…。
このように心はまだ足りない、もっと欲しいと叫び続けています。

心のわがままに付き合い続ければ、際限のない要求にこたえ続けることになります。
うまく要求にこたえられれば、より高い要求を突き付けられます。
そのうち要求にこたえられなくなり、そこから苦しみが生まれます。
つまり、心のわがままに付き合い続けていれば、決して満たされることはなく、終わりのない苦しみを味わうことになるのです。
安らぎは絶対に得られないのです。

流されない、たしかなよりどころを持つ

心のわがままに流されれば、そこには苦しみしかありません。
そうならないためには、絶対に流されることのない、たしかなよりどころを自分の心に持つ必要があります。
では、たしかなよりどころとは何でしょうか?

それは、正しく生きるという思いです。
なにがあっても心のわがままに飲まれず、正しくあろうと自分を律する心です。
具体的には、以下の3点を心がけることになります。

決めつけず、正しく理解する。
②欲望、怒り、妄想にとらわれない。
慈悲喜捨の心を持つ。

これらは、言ってみれば道徳心のようなものです。
あるいは、「人を傷つけてはいけない」、「暴力を振るってはいけない」などの人として生きる上での大前提とも言えます。
これらを自分の中の絶対的な基準として心に留め置くことで、求め続ける心に流されることがなくなるのです。

頼れるのは自分のみ

仏教では、自分が頼れるのは自分のみであるという考え方があります。
外の世界に安らぎを求めても、その先にあるのは苦しみだけです。
外の世界は自分の思い通りにならず、それによって苦しみが生まれるからです。

だから自分自身に頼るのです。
安らぎを与えてくれるのは、自分だけです。
決して外の世界ではありません。
ですから、自分自身の心の中に、「正しく生きる」というたしかなよりどころを持つのです。

そして、求める心や欲望に流されそうになったら、そのよりどころに立ち返るのです。
そうすることで、また正しい生き方に戻ることができるのです。

今回のまとめ

・心は際限なく求め続ける。それは終わりのない苦しみを生み出す。
・求める心に流されないためには、「正しく生きる」というたしかなよりどころが必要。
・外の世界に安寧を求めない。安らぎを与えてくれるのは自分自身。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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人生について真剣に考えてみましょう


「生きる」を考える

「なぜ自分は生きているのか?」
そのように思うことはないでしょうか。

ただ生まれてきて、生まれてきたからなんとなく生きている。
そのような生き方をしていると、生きていることに意味を感じません。
そして、それは「なぜ生きているのか」という、言いようのない不安感に変わります。

こうした不安感を払拭するためには、「なぜ生きるのか」ということに対し、真剣に向き合う必要があります。
自分は何を望んでいるのか。
何を大切にしていきたいのか。
社会や他人からいいように思われたいだけなのではないか。

こうした様々なことに思いを巡らせることで、はじめて自分の人生に確信を持てます。
「自分はこう生きればいいのだ」という確信です。
本書が、そのきっかけとなれば幸いです。

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