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公開日:
最終更新日:2016/12/26

強制収容所の経験を経て、気づいた人生の意味とは?

こんにちは。
今回紹介するのは「それでも人生にイエスという」です。
この本はナチスの強制収容所から生還した過去を持つ精神科医、フランクル博士が執筆したものです。
解放された翌年に行った講演をまとめたもので、博士の考える人生の意味、人生とは何かが述べられています。
強制収容所の経験を経て、気づいた人生の意味とは一体何なのでしょうか?
さっそく内容の方を見ていきましょう。

人生の意味

人生とはつらいもの

本書の前提となる思想として、人生とはつらいもの、困難の連続であるという考えがあります。
もし、人生が楽しいものだとしたら、つらいことが人生にあるのはおかしな話です。
また人生において楽しいことと、つらいことのどちらかが多いかを単純に比較したら、つらいことの方が多いのではないでしょうか。
これらが、人生の意味が楽しいことを経験するためではないという考えの根拠です。

現代人は、もろい自分にすがるしかない

人生がつらいものだというのは、今も昔も変わりありません。
それでも、現代は特に生きていくのがつらい時代だといえます。
それはなぜでしょうか。

その原因はすがるもののない時代だからです。
昔は人生において何かしら「すがるもの」がありました。
神であったり、宗教であったり。
人生で自分の手に負えないことが起こったらそれは、神の思し召しであり、自分にはどうしようもない運命なのだと諦めることもできます。

一方、現代はどうでしょうか。
科学が世を席巻し、すべての因果の法則が解き明かされたように思われています。
その過程で、神は死にました。
全ての出来事には原因があり、運命などは存在しない。
人生のよりどころを失ってしまった私たちは、もう自分自身にすがって人生を歩いていくしかありません
しかし、自分とはとてもちっぽけで弱い存在です。
そんな存在を心から信じることができるでしょうか。
すべての責任を引き受けることができるでしょうか。
人生の試練を前にしたときに自らを力強く支えてくれるでしょうか。
そんなことは絶対に無理です。

しかし、私たちは私たちの人生の責任を全て自分でとっていかなければなりません
成功したのは自分が頑張ったから、失敗したのは自分の努力が足りなかったからというように。
とにかく人生におけるすべての責任を自分で引き受けなければならない
そして、そういう思い込みが前提としてある。
これらのことから、現代人は自分自身にすがって生きていくしかないのです。

すがるものを失った時、絶望に突き落とされる

すがるものがある時、人はそれを人生の意味にすることができます
神にすがる人は神のために生きる。
教義にすがる人は教義のために生きる。
現代人は自分自身のアイデンティティのために生きています。
しかし、先ほども述べたように自分というのはそれほど強いものではありません
自分にはどうしようもできない人生の困難が訪れた時、私たちは自分自身を信じられなくなり、人生の意味を失います。
つまり、現代は上手くいっているときは大丈夫だが、ひとたびどうしようもない困難があらわれると、なすすべをなくしてしまうのです。

楽しくやれていた時は、それ自体が人生の意味でもよかったのです。
しかし、すがれるものを失ってしまった時、人は自分の人生の意味を喪失します。
そして「なぜ人生とはこんなにつらいのか?」と悩むことになるのです。
すがれるものを失った時、人は自分の人生に絶望してしまうのです。

人生の意味は「答えを出すこと」

現代はすがれるものがなくなってしまった。
そして、現代は何も考えず楽しく生きていくのは、難しい時代でもあります。
これらのことから、私たちは何らかの生きる意味を探さなければなりません
では、私たちにとって人生とは何の意味があるのでしょうか?

本書では、人生に意味はないとしています。
正確には、「私たちにとって人生の意味はない。しかし、人生は私たちに意味を求めている」ということを述べています。
私たちは自分そのものだけでは人生に対して意味を持つことはできません。
しかし、生きていくうちに人生から意味を求めれるようになります。
例えば、仕事だったり、家族だったりします。
あなたにしかできない仕事はあなたが居なければ、存在することができません。
あなたの家族はあなたを必要としています。
これは何もあなたにとっていいものだけではありません。
病気や事故などの不幸な出来事も同じです。
つまり、あなたという存在そのものを必要とするものから、あなた自身の意味を問われているのです。
そしてその問いに答え続けるのが人生の意味であるとしています。

まとめると、人生の意味とは、
・人生で待ち受けているもの全てによって出される問いに答えること
・問いに答えることで、自分の人生の答えを見出すこと
だといえます。

なぜ、答えを出す必要があるのか?

人生とはつらいことであり、それを乗り越えていくためには意味が必要です。
そしてその意味は、人生からの問いかけに対し答えることだとお話ししました。
しかし、ここで一つ疑問に思うのは、なぜ答えを出す必要があるのかということです。
どうせ最後には死んでしまうのだったら、答えなんて出す意味なんてないのではないでしょうか。
楽に生きることだけを考えて、上手くいかなかったら死んでしまえばいい。
そんな考え方があってもいいのではないでしょうか。

本書ではこれに対する答えとして、自分のしたことは永遠に影響を与え続けると述べています。
つまり、死んでしまったからと言って自分のしたことは無駄にはならないということを言っているのです。
ですが、これも死んでしまった後のことなんてどうでもいいといわれてしまえば、それまでです。
そして、影響を与えるようなことを成し遂げられなければ、その人の人生には意味がなかったということにもなります。

ここで一つの回答として、人間は死んだあとに無になるわけではないという考え方があります。
そのことについては、以前の記事を参照ください。
しかし、これもあくまで一つの考え方に過ぎないということです。
これが絶対に正しいという保証はどこにもありません。
大事なのは、答えを探すのではなく、自分自身で答えを見つけ出すことです。
そう考えると、人生の意味というのは、それを探すことそのものなのかもしれませんね。

考え抜くことで、あなたの「人生の意味」は強くなる

本書にもあるように私たちは、人生の意味を見出しにくい時代を生きていく事になります。
すがるべきものはなくなり、希望をよりどころに生きていく事も難しい時代です。
そのような時代を生き抜くためには、自分なりのよりどころを見つける必要があります
それは、人によって様々かと思います。
しかし、共通するのは困難にあっても折れない強さを持っていることです。
そうした強さがなければ、自分を支えてくれることはできないでしょう。

そして、その強さは考えることでしか養われません
自分なりに生きる意味を考え、それを通じ人生を生きていく。
そうして歩んでいく人生から学んだことをさらにフィードバックさせ、より強い人生の意味を形成していく。
そういった、繰り返しでしか確かなよりどころはできないのではないのかと思います。

著者であるフランクル博士はこれ以外にも様々な著作を残しており、本書はその一番最初のものとなります。
以降の書籍では、今回の疑問点が解消されているかもしれません。
機会があれば、以降の書籍についても紹介することができたらと思っています。

今回のまとめ

・人生はつらいものである。
・すがるものがない現代人は自分にすがるしかない。
・自分ではどうしようもない困難を前にしたとき、すがるものを失う。
・すがるものがなくなった時、絶望から自分を立ち上がらせるのは人生の意味。
・人生の意味とは、「人生の問いに答え続け、それにより自分の人生の答えを見出すこと」。
・人生の問いとは人生で起こるすべての出来事。
・答えとは、その出来事に対しどう考え、行動するかということ。
・考え抜かれた生きる意味は、あなたを支えるよりどころとなる。

それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

それでも人生にイエスと言う

カテゴリー: 生き方


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