サラリーマンである限り、「経済的安定」は絶対に手に入らない
今回も「金持ち父さん 貧乏父さん」より。
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「金持ち父さん 貧乏父さん」に次のような一節があります。
金持ち父さんが、お金のために働いている人は、お金を失うことを恐れているだけだという話をし終えた後のことです。
このとき、まるで筋書が書かれていたかのように、町についている浮浪者がテーブルの前を通りかかり、大きなゴミ箱の前に立ち止まって中のものをあさった。
以前なら気にも留めず見過ごしていただろうが、このときばかりは三人とも興味を持ってじっと見守った。
金持ち父さんが財布から一ドル札を出し、その年取った浮浪者に手招きした。
お金を見たその男はすぐに飛んできてお札を手にすると、金持ち父さんに何度もお礼を言い、大金を手にしたことに大喜びしながら立ち去った。
この後金持ち父さんは、うちの従業員も本質的にはあのホームレスと変わらないと言い放ちます。
今回はこのことについて考えていこうと思います。
なぜ金持ち父さんはホームレスと従業員が一緒だといったのでしょうか?
それはお金のためにやりたくもないことをしているからでしょう。
従業員は、「仕事と給与が割に合っていない」、「こんなのは自分がやるべき仕事じゃない」と不満を抱えながら仕事をしています。
ホームレスも別に好きでゴミ箱をあさったりしているわけではないでしょう。しなくてもいいならしないはずです。
そしてどちらもお金をもらうときは、一時の欲望に駆られて今までの不満を忘れてしまっています。
こう考えていくと、もらえる金額や社会的な扱われ方が多少違うだけで、本質的にはホームレスも会社員も大して違いはないのかもしれません。
また本書では、目先の利益に目がくらんでその先が見えていないことのたとえとして、ニンジンを目の前にぶら下げられている馬を挙げています。
従業員はこの馬とも同じようなものだとも言っています。
私たちも絶対に手に入ることのない、経済的安定というニンジンを求めて走っているわけです。
このような状況を脱するためには、知識をつけ、視野を広げる必要があります。
もし馬が自分の姿を遠くからながめることができれば、自分の置かれた立場がわかり、ニンジンを追いかけることが自分にとってためになることかどうか、考え直すかもしれないだろ。
私たちは自分の姿を遠くから見ることはできません。
なので、視野を広げ、大きな視点の中で自分を客観視するしかないのです。
実現したいことがあるのならば、そのことについて知り、視野を広く持つことが重要です。
もし、経済的な安定を求めるのであれば、私たちは「お金」のことについてよく知らなければならないのです。
確かな知識は欲望や恐怖をコントロールしてくれます。
そうすれば、自分を間違った方向に誘導する感情に人生を惑わされずにすむのです。
感想・まとめ
毎月決まった給料がもらえるなどの経済的な安定を求めて働いている人は多いと思います。
というか、ほとんどの人が仕事をする理由はそうじゃないでしょうか?
では、ほんとうに今の仕事を続けることは経済的な安定につながるのでしょうか?
10年後、20年後も本当に給料をもらい続けることができるのでしょうか?
会社が潰れるかもしれません。
経営不振でリストラされてしまうかもしれません。
出世競争に敗れ、早期退職を勧告されてしまうかもしれません。
精神を患い、働けなくなってしまうかもしれません。
あるいは、コンピュータに仕事を取られてしまうかもしれません。
こう考えると、経済的安定というのは、幻想にすぎず、私たちはその幻想を求めて日々働いているように思えます。
従業員として生きていく以上、経済的安定というの決して手に入らないのではないのです。
では、経済的安定を得るために、私たちは何を知らなければならないのでしょうか?
次回からは、それをテーマに考えていきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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